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ヴァーシャとヴァシリー、そして毛皮の男は、神殿へと連れて行かれた。
石と木で作られた平たい建物はとても大きく、
里の中でも特に力のあるものだけがここで修業できるのだと案内人の一人が言った。
様々な知恵―――特に力の扱い方に関する―――が隠されているのもここだった。
「いきなり核心に近づいたような感じじゃない?」と青年は言った。

神殿の中の人々は異邦人たちに着替えるように言った。
なるほど彼らの身なりは旅装束のままであったし、大分くたびれていた。
ヴァシリーと毛皮の男は男の人たちに、
ヴァーシャは女の人たちに引っ張られて別々の部屋へ通された。
大丈夫なの、といいたげにヴァーシャは青年に視線を向けたが、
まあ大丈夫だよ、みたいな顔を返されただけだった。
危険な感じはしなかったので、大人しく世話が借りらしい女の人について行く。
ヴァーシャに合う衣装が無かったのか、じっくり選んできてくれたのか、お湯につけられたまま彼女はずいぶん待たされた。
一枚の長い布を前で合わせて紐で結ぶ、というあまり馴染みのない服に少女は動きづらそうにしていたが、
もぞもぞしている彼女の着物を懸命に直す女の人の手が肌に触れると、はっとして顔を上げた。

「お前は模様を読むのだね」

ヴァーシャが一瞬呆然としたときに、後ろから声をかけてきたのは大巫女だった。
ヴァーシャは女の人から離れ、さらに突然現れた大巫女から一歩遠ざかる。
大巫女は特に気にする様子もなく、それを眺めた。
「何が見えたかね」
ヴァーシャは大巫女と女の人を交互に見比べた。
女の人が大丈夫、というように微笑むと、躊躇いがちに口を開く。
「彼女が床に伏せっているところ」
まるで死んでいるように見えた、とは言わなかった。

「その女は力が強いゆえに昔から病がちだ」
大巫女はゆっくりと言った。
「また夏至に近くなれば危うくなるだろう」
女の人は頷いた。特に気にしていないような素振りだった。
「力が強いゆえに……」
ヴァーシャが繰り返すと、大巫女は言った。
「だから神殿で修業している。力を抑え、制御する術を身につけるために」

少女は聞き咎めて顔を上げた。
「大きな力を制御するため?」
「そうだ、お前たちの目的もそうではなかったか」
ぎょっとして口をつぐんだヴァーシャに、大巫女はしわがれた声で笑いかける。
「お前たちが何を求めているかくらいなら、私の占でなんとなくでもわかるのだよ」
ヴァーシャは目を丸くした。村の術師たちの占では、せいぜい天気の変化や失せものの場所くらいしか分らなかったものだが、大巫女は心の中まで分かるというのだろうか。

「何なの、私たちに何をするつもりですか」
ヴァーシャは慣れない服に着替えたことを後悔した。やっぱり動きづらいのには裏があったに違いないと思ったが、大巫女は近寄ってくることはなかった。
「お前と一緒に来た青年とその配下たちに知恵と力を託そうと思う」
大巫女はゆっくりと言った。
綾目の里には古くから積み上げられた力に関する知恵と、大きな力を手に入れ、扱う術が蓄えられている。
もちろんこの世に存在する以上ここは王国の一部であり、
里長も王さまのための力を扱う里だと表明しているが、
実際のところそんな風に思っている者ばかりではなかった。
特に、その昔は王さま側によって無理矢理力のある者が連れてこられ、里の中に閉じ込められた時代もあった。
大巫女は自分も幼い頃連れてこられたのだと語った。

「よくも悪くも、世界を形作っているのは王の存在だ」
大巫女はヴァーシャにはよく分らないことを言った。
「それを倒すことが出来るものがやってくるのを、私や心を同じくする者たちはずっと待っていた」
「……あなたも、今の世界が変わるべきだというのですか」
ヴァシリーのことを思い出しながら尋ねると、大巫女は言った。
「古い力と共に生きていこうとする限り、このままでは駄目だと誰もが思うだろう」
まあ、我々の多くは私怨もあるけれどね、と付け加えて、大巫女は口元だけで笑った。
彼らは力によって生かされている人々なのだとヴァーシャは思った。

「今、私の配下の者があちらにも話をしているはずだ」
大巫女に言われて、少女は躊躇いがちに頷いた。
「彼らに神殿に入ってもらい、力を継がせる」
里に伝わる大きな力。それを手に入れて、一体王さまに向けられるだけの刃になるのだろうか。
王さまの力も実際にはよく知らない少女には何もかも疑問だったが、
それでも大きな力に対して身体をもたせる方法は教えてもらえるらしいと分かり、少々安心した。
しかしほっとしたところでふと違和感を覚える。

「あの」
首を傾げながらヴァーシャは口を開いた。
「彼の配下の中に、私は入っていますよね」
大巫女は答えなかった。
仮面の下の表情は計り知れない。少女は不安な気持ちになった。
「入っていないの……」
「お前は神殿に入れない」
大巫女は静かに言った。

「お前とあの青年の道は分かたれている」

ヴァーシャはぽかんとして大巫女を眺めた。
大巫女はそんな彼女をただ見つめながら続けた。
「それが今別々に話をしている理由だ。
 お前は彼が王を討とうとするときに翳になる―――と占に出ている。
 一緒にいさせるわけにはいかない」

「そんなことない」
大巫女の言葉に、ヴァーシャは声を震わせた。
「邪魔なんて―――」
否定しようとしたが、少女は途中で口をつぐんだ。自分がヴァシリーのことを止めないと言い切れるだろうか。
たとえば村を出る前のように、あの雷の夜のように、ヴァーシャの望みと彼の望みが食い違う事態などいくらでも起こりうるのだ。

「私たちの言うとおり力を使ってくれれば、私たちはお前たちを助けるよ」
大巫女は言った。
「お前のことも娘たちの行く学び舎に入れてあげよう。神殿に程近いから安心であろう?
 着る物も住むところも用意してあげられるし、すべてが終わるまで大人しく青年を待っておれば、何も言わぬ」
仮面をつけた里の権力者は、少女に安息を約束する。
村を出たままずっと旅をしてきたヴァーシャにはもちろん魅力的な提案だったが、
それでもいきなりヴァシリーと離されると聞いて彼女は困惑した。
ヴァシリーは何と答えるだろうか、と考えていたところで、大巫女がヴァーシャを驚愕させる一言を放った。
「それに協力すれば―――狩人たちに突き出したりもしない」

狩人たち。ヴァーシャの村にやってきて人形たちを殺し、彼女に傷を負わせた男たち。
彼らの中には命が吸えない相手もいたし、ヴァーシャたちがどういう存在だかわかっているようだった。
そして何より、ヴァーシャたちに―――彼らが言う「吸血鬼」に敵意を持ち、さらに王さまの名を出していた。

「お前たちのような存在はある一部の地域にしかいないし、数も少ない。
 狩人たちが王都の人間によって組織されたのは昔の話だ。
 だが今も機能している」
量の調節が出来るにしても、人の命を直接的な糧にして生きる生き物は、普通の人間には受け入れにくいものだしね。
大巫女は言う。
「かつお前たちのようなものは、王族も越えられない「死」から戻ってきたものだ、と考えられている。
 王さまを唯一の価値と考えるような者たちにとってはそれは脅威なのさ」
村でヴァーシャたちを見つけた狩人たちは、毛皮の男と狼たちが始末してしまったが、
そのうちまた消息を探りにきたその仲間たちが、何が起こったか知るだろう。
そうしたら、ヴァーシャ達は追われる身になるかもしれない。

「脅すの?」
固い口調でヴァーシャは訊く。
大巫女は答えない。代わりに少女に背を向けて、言った。
「一週間考えなさい。あの者と相談してどうするか決めるのだ」

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