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花の樹は里の中心に生えていた。ひどく大きく、近づいていくにつれ花が天を覆っているような錯覚に陥る。
はらはらと舞い落ちる一つ一つの花はほとんど白のような淡い色だったが、見上げれば柔らかい薄紅色が視界に広がる。
「古い森に似ている」
大樹に見惚れながら、ヴァシリーが言った。
ヴァーシャもただ上を見つめて頷く。
力を溢れさせる美しい樹は、少女と青年の身体に生気を与えるようだった。
ここにいれば、それほど人から生気を奪っていかなくても暮らせるかもしれないと思ったほどだ。
門番は満足げに解説を始めた。

「この里を支えるクラの樹です」
クラの樹は枯れることがないのだという。一年中見事な花を咲かせ、里の景色を彩っている。
「私のような力の弱いものはただ目を楽しませるだけですが、
 里の中でも力の強い人たちは、この樹と語らいに来るのですよ」

ヴァーシャ達は里に入った時から周りを歩いている、一般の里の人間たちに注目した。
あまり力のない人もいれば、そこそこ―――村の術師たちくらいの力を持っている人々もいた。
それでもヴァーシャやヴァシリーと似たような存在はいないようだ。吸血鬼、という言葉についてそれとなく訊ねてみたが、門番はそういう存在について知らないようだった。
「僕たちマイナーだね」
ヴァシリーは小さく言って笑う。
「力を抑える方法は聞かないの?」
ヴァーシャが声を潜めて尋ねると、彼は首を振った。
「ここにいる人は知らないと思うな。必要な程の力の大きさじゃないから」
青年は周りに目を走らせる。
それはヴァーシャにも分かった。先ほどからすれ違う人々は里の中ではあくまでも一般人なのだ。
大きな力を持つ人々は、一つどころに固まっているということが感じられた。
少女はどうするの、と口を開こうとしたが、はっとして口を閉じた。

「でも、来たね」

ヴァシリーの言葉が終るか終わらないかというところで、人々の間にどよめきが走った。
ざわざわと、クラの樹の向こう側から人の波が割れていく。
人々が道を開けた隙から現われたのは、豪奢な服を身に纏い、奇妙な仮面を顔に付けた老人だった。

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