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白昼堂々村の中に現われたのは狼の群れだった。
村人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げだした。
狩人たちも逃げ出したかったが、狼たちは彼らに狙いを定めて喰いついて行った。
最初に突っ込んできたひときわ大きな狼は、ヴァーシャに止めを刺そうとした狩人を撥ね飛ばした後、彼女の傍に降り立った。
その背に見覚えのある人物が乗っていた。すぐにそこから飛び降りて、ヴァーシャの方へ駆け寄ってきた。

「ヴァーシャ!」
南へ行った筈のヴァシリーは、地面に横たわったままだったヴァーシャを抱き起し、傷を庇うようにして抱きしめた。
彼女の名前を呼んだ。呼んだまま、他に何も言わなかった。
「……どうして……」
囁くような声で訊くと、ヴァシリーは首を振った。
「人形が壊されていくのを感じた。何か起こったのが分かった。
 だから戻ってきたんだ。……喋らないで」
彼の手が傷口に触れ、ヴァーシャは痛みに震えたが、暫くするとその痛みは引いていった。
ぱちぱちと音がする。どこからか上がった火の手が、村の木を焼いていた。
傷口を触った手で抱きしめられて、彼女は気付いた。
あの、血濡れの手は、彼女自身の血だったのだ。
ぐったりと懐かしい腕に身体を預けて、ヴァーシャは目を閉じた。

「……なんだ……あいつ―――!」
スボートニクは戦慄した。唐突に現われた青年は、狩人たちが求める「吸血鬼」だ。
死の後にまた蘇り、人の生気を奪って生きている。
だが、目の前の青年はそれだけの生き物ではないと思った。
彼の身体からは今の世界ではほとんど見られない大きな古い力が溢れ出るようだった。
まるで神話の世界の怪物にも似た―――

スボートニクが動けないでいると、狼に弾かれた狩人が戻ってきて、剣を抜いて青年に向かって行った。
「やめろ!」
スボートニクが止める前に、青年まであと一歩というところで狩人は立ち止まる。ほっとしたのも束の間、布の塊は気付く。止まったのではなく、狩人は動けないのだ。
青年は少女を抱えたまま、狩人の方へ近寄る。何事か囁くと、片手で首を締めあげた。
顔色も変えず、無表情のまま。狩人は声も出さずに動かなくなり、青年が手を離すとそのまま地面へと落ちて行った。
別の狩人がそれを見て青年に斬りかかって行ったが、結果は同じだった。
さらにもう一人が剣を抜くと、青年は面倒くさくなったのか、相手をする余裕がなくなったのか、
ぱちんと指を鳴らした。
先に倒れた二人がゆらゆらと起き上がる。
剣を抜いた狩人がぎょっとして怯んだ隙に、起き上った二人の狩人の身体は彼を切り刻んだ。
呆然と眺めていたスボートニクは、周りに詰め寄ってくる狼たちから逃げることも忘れてしまったようだった。
青年は見向きもせずに、少女を抱えたまま狼の背に戻って行った。


「待って、どうするの……?」
ヴァーシャはヴァシリーの腕の中で呻くような声を上げる。
青年は一瞬黙ったが、彼女をしっかりと抱えて言った。
「連れていく」
ヴァーシャの目が大きく開かれた。
「待って……」
もがくように辺りに目をやって、殆ど音の出ない喉で叫んだ。
「父さんと、母さんが」
「大丈夫だよ、気絶してるだけだ」
ヴァシリーは一瞥して言う。腰を落としていた狼が立ち上がった。傷ついた身体で暴れだしそうな少女を、青年は抑え込む。
「いや……!」
「もうここにはいられないよ」
彼は言う。
「ここはどんなに端でも、王国の領土だ。あいつらはね、王さまからの命令っていう大義名分を持ってるんだよ。
 あいつらがいなくなっても、いずれこの村には同じようなやつらが来る。
 村の人たちも彼らの味方になる」
「嘘」
ヴァシリーは首を振った。もう何も言ってくれなかった。
ヴァーシャのことを抱え込むと、狼に走るように言った。狼は大人しく走り出す。
「や……」
ヴァーシャは青年の肩越しに、小さくなっていく村を見た。
生まれ育ったそこは、小さくて排他的だけれどそれなりに暖かくて、ヴァーシャの大切な人たちがいた。
自分のことを受け入れてくれる場所だったのに。
涙で滲んでよく見えなくなる村を、彼女は必死で目に焼き付けようとした。
小さく小さくなって、景色に紛れてしまっても、見ていた。

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