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「……それが、君の答えだね」
呟いたヴァシリーは、精神的にも肉体的にもかなり脱力した様子のヴァーシャを抱き起した。
ヴァーシャは大人しく彼にもたれかかることにした。
何も考えずにこうしていられることが嬉しかったのだ。
「僕も一緒だ」
小屋の中にいるのは二人だけだったけれど、
青年は少女以外の誰の耳にも届かないような小さな声で囁いた。

「同じ存在の君に、役に立ってもらいたいから、傍に置いておきたいと思ってた。
 ……でもそれだけじゃない。
 村へやってきた僕を“見つけた”のは君だけだった」
ヴァーシャの頭に、森から戻ってきた彼に初めて会った時の光景が蘇る。
これは自分の記憶なのか、今触れている彼の浮かべるものなのか、彼女には分らなかった。
「誰も知らなくても、君だけは僕が僕だってことを知ってる。
 村の中で人として暮らしていると忘れそうになる力や目的が思い出せたんだよ」
「そんなの……」
彼を力へ向かわせるものを自分が支えていたようで、ヴァーシャは苦しくなる。
何も言えず、力の籠らないままヴァシリーの胸に額を押しつけた。
「本当は、人形にして連れて行っても意味がないんだよね」
彼は言って、彼女の髪を撫でる。
ヴァーシャが驚いて顔を上げると、静かに微笑んだ。

「僕たちは一緒にいられないね」
「望んでることは同じだわ」
「同じだけど違う」
ヴァーシャの言葉を打ち消す彼は、ひどく落ち着いていた。
「どちらもその違う部分で引こうとしないし」
少し可笑しそうに笑う。
「私……」
ヴァーシャはヴァシリーの服を握りしめたが、その先を言う勇気が出なかった。
「その場の感情に流されると、後で後悔するよ」
青年は少しおどけたような、軽い口調で言った。
「この平和な村で、人として暮らせばいいさ」
「ひとりじゃ出来ないわ。人じゃないもの。もう一人、人形にしてしまったもの」
ヴァーシャが言うと、ヴァシリーはちょっと目を見開いて、にっこりと微笑んだ。
「そうだったね、言ってないことがあった。」
少し意地悪そうに笑う。
「あの少年を人形にしたのは君じゃない」

「嘘」
また茫然として、なんとかそれだけ呟いたヴァーシャに、
「嘘じゃないよ。君が行った後僕がやった。
君はまだ村の人に、決定的には手を出してない。大丈夫だよ」
手を出されるのが嫌だったから、と彼は楽しげに言った。
ヴァーシャはひどいと思ったが、抗議はしなかった。彼は村人に手を出すのに躊躇しない。彼女の大事なものも壊すかもしれない。それなのに、なぜかヴァーシャにとって彼は大事な相手に思われてしまうのだった。

「僕は行く。君は残る。少しの間だよ。
 僕は行って、戻ってくる。
 君はそれまで待っていて」
止められないのだと、ヴァーシャは改めて思った。
そして自分も付いていけなかった。
彼の望みより安楽をとるのだ、と思うと、情けないような悲しいような感情で胸が痛んだ。
ヴァシリーの、彼女を包む腕はひどく優しかった。
これで最後だからだ、とヴァーシャは思った。

「本当に、戻ってくるよね」
ヴァーシャの震える声に、ヴァシリーは頷く。
「とりあえず、体をもたせる方法が見つかったら一回戻るよ」
「うん……」
しかし、どうしても以前見た血の映像がぬぐえず、少女は青年の言葉に頷きながらも不安でたまらなかった。
「戻ってきてね」
ヴァーシャは言った。また涙がこぼれた。
「すぐだよ」
見ててごらん、すぐ戻ってくるから。
そんな風にヴァシリーは言って、ヴァーシャの瞼に唇を落とした。
彼の言葉に頷く間もなく、ヴァーシャの意識は薄れていった。

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