27

それからしばらくの間、ヴァーシャは平穏な日々を過ごしていた。
ヴァシリーが言ったとおり、変な所には近づかなかった。代わりに女の子たちの集いに行ったり、定期的にある小さな祭りで騒いだりと、今までに比べれば不自然なほどに普通の娘らしく過ごしていた。
楽しそうに笑っているかと思えば時々ひどく物思いにふけったり、というようなことはあったが、それもまた若い少女らしいものだと思われた。
イリンカのところには、特によく遊びに行った。
いつも泊まるのは風呂小屋だった。
幾人かの友人皆で集まることもあったが、ヴァーシャが占いを始めると、みんないつの間にか眠ってしまうのだった。

その晩も現れた黒いものは、ヴァーシャに向かってこう言った。
「準備はうまくいってるかい、お嬢さん」
ヴァーシャはにこりともせずに頷く。
「この間の祭りの日に、杖にすると言って良いのを取ってもらった」
彼女は強張ったような表情をしていたが、薄暗がりの中で光を吸い込むようにまっ黒な、その黒いものをまっすぐに見つめていた。
彼女はゆっくりと口を開く。

何度か会ううちにヴァーシャが学んだのは、黒いものは侮られたりするのは気に食わないようでも、
こっちの思惑にはあまり頓着していないようだということだ。
少女が興味深そうに、ものを知らない様子で聞くと、それなりに色々なことに答えてくれた。
「私たちやあなたたちは、普通の人間とどう違うのかしら」
ヴァーシャは膝を抱えて呟いた。
「全然違うような感じも、全然変わらないような感じもするの」
「そんなことを気にするあたりが、おまえたちが人間らしいところだね」
黒いものは言った。

「私くらい古い生き物だと、もうそんなことは気にならないよ。
私たちが皆ひとつだったことを私は知っているから。
王さまが現れる前は、私たちはみんな同じだった。一つの世界の模様で、それ以上でもそれ以下でもなかったのだよ。皆つながっていた。
だから、本質的には今だって変りないのさ。
そういうことをすっかり忘れていればいるほど、人間に近い感じがするね」

古い生き物の感覚に、少女はよくわからない、というように眉根を寄せた。
「それじゃああの人がやろうとしてることは無意味みたいじゃない」
「あれにとって意味があるならやるには充分だろうさ。実際我々は消え行く運命だし、 放っておけば本当に世界の仕組み自体が変わっていくのかもしれないしね」
黒いものはいつも楽しそうに笑う。火が爆ぜるようにぱちぱちと笑ったり、炭が崩れるように溜息のような笑いをこぼしたりする。
「それで死んじゃうんじゃ駄目だわ」
ヴァーシャには笑う事が出来なかった。
「死んだりしないよ」
黒いものは言った。
「一つに戻るのさ」

ぱちぱちいう薪の音を聞きながら黙っていたヴァーシャは、暫くしてまた口を開いた。
本当に聞きたかったのはこれだった。
「気付かれないようにあの人に近付きたいの」
「必死で気配を消すしかないね」
黒いものは特に励ますでもなくそう言った。
「気配の消すってどうやるの?」
「必死になるか、平静になるか、どっちかだろうね」
返事がいい加減になってきたので、これ以上聞いても収穫は無さそうだ、と彼女は思った。

「ありがとうございます」
ヴァーシャは言った。
「また来るかも知れない。もう少しお世話になります」
黒いものはゆるゆると部屋の隅の闇の中へ紛れながら笑っていた。
「幸運を祈ってるよ」
残された少女はまだ眠っている女の子たちの傍に丸くなると、黒いものの消えていった隅をじっと見つめていた。

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