24

人の良い友人は、ちゃんと風呂小屋にヴァーシャが入れるようにしておいてくれた。
それどころか、中で丸まって彼女を待っていた。
イリンカという名前の彼女は、丸い目の可愛らしい女の子だ。
「おかえり、ヴァーシャ!」
声を潜めながら楽しげに出迎えられて、こそこそと中に入ったヴァーシャには、暖められた小屋の中が別世界のように感じられた。
早目に眠ってさっき起きた所だというイリンカはなるほど元気だった。

「うまくいった?」
目を輝かせながら訊ねてくる。
ヴァーシャがよくわからないというような顔をすると、イリンカも不思議そうに首を傾げた。
「夜這いをかけに行ったんでしょ?」
「何を言ってるの!」
ヴァーシャはぎょっとして否定するが、友人は疑いのまなざしを向ける。
「こういう場合はだいたい皆そうなのよ。
 逢引とかそういうの。別に隠すことなんてないんだから!」
自信たっぷりに言われてしまったので、ヴァーシャは項垂れた。
信じてもらえそうにないというのも一つ、自分が女の子たちの規範から外れているというのも一つだが、
行った先であったことを思い出したのだ。
毛皮の男が言っていた、ヴァシリーの体のことを。

南に行くことや、彼の目的について聞いた時にはそんなこと一言も言っていなかったけれど、
目的の達成のためには―――大きな力を手に入れるためには、
それなりの犠牲がついてくるようだ。
そこまでして、世界を「元」に戻したいのだろうか。
彼にとってそれほどに、今の世界は望ましくないものなのだろうか。

ヴァーシャがほとんど血の気の引いたような深刻な顔をするものだから、
見ていたイリンカはおろおろしてしまった。
彼女は友人が可哀想に恋人とうまくいかなかったのだろうと思ったのだ。
「大丈夫?ほら、飲んで飲んで!」
そう言いながら、温かな飲み物を差し出す。
「あんまり一人で一つのことばっかり考えてるとだめよ。
 二人で考えるか、二つ考えるのよ」
固まっていたヴァーシャは目を瞬かせたが、身体がどんどん温まってくると、友人の言葉が心のうちに染みてきた。今は考えるべきではない。森に行って肉体的にも精神的にも疲れていたし、もう少し冷静にならないと答えなんて出ないのはわかりきっている。
少しだけ楽な気持ちになって、彼女はイリンカに感謝した。
少女たちがカップを手に並んで座ると、なんだかしみじみした空気になった。

「そうだ、占いをしない?」
イリンカが丸い目をぱちぱちとさせて提案した。
「占い?ここでするの?」
「そう」
風呂小屋の精を呼び出すの、と風呂小屋の持ち主の彼女は言った。
どうやら彼女はよくそれをやるらしく、すぐにぱたぱたと用意を始める。
ヴァーシャが頼まれて水を汲んで帰ってくると、もう準備は整っていた。
「こうしてカップに水を張った中に指輪を入れるのよ」
暗くした小屋の中で、イリンカが言う。
「そうしたら上に鏡を置くの。
 精霊が、鏡に恋人を映してくれれば仲直りできるわ」
「恋人を映す占いなの?」
「それか、意中の人」
ヴァーシャの問いに、イリンカはにっこりして言った。

特に映したい相手もいないわけだが、現実逃避―――もとい気晴らしには最適である。
気を遣って友人が目を閉じた所で、ヴァーシャは鏡の中を覗き込んだ。

何も映っていない。

期待していたわけではないけれど、少しがっかりした。
もし映ったらどうだったのかしら。今の彼が映るのだろうか、それとも次に会うときの―――
……もう会うことがない、とかそんな事態はないわよね。
嫌な思い付きを振り払う為に、待っているイリンカと替わろうと振り向いて、ヴァーシャははっとした。
さっきまで元気に喋っていた友人が眠ってしまっている。
やっぱり夜更かしで眠くなってしまったのだろうか、と、
普段ならそんな風に考えるところだが、ヴァーシャはもうひとつ、不自然な事実に気づいてしまったのだ。

鏡に何も映っていなかった。自分が、覗き込んだのに。

彼女が再びゆっくりと鏡の方を向くと、
そこにはぼんやりとした黒い塊のようなものが丸くなっていた。

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