23

明かりを持った術師が杖を振ると、残った一つの明かりも消された。
彼らは来た方とは別の方向を回って帰っていく。

ヴァーシャはこちらを見ている―――ように感じられる視線に意識を集中させていたが、
それを感じるだけでどこにいるのかは全く分からなかった。
いったい何なのだろう、と首を傾げていたところで、いきなり襟首を掴まれて宙吊りになった。

「―――!!っ!」
ぎょっとして手足を振り回すと、そのまま自由落下させられた。

「……痛い」
「そうか」
ヴァーシャを茂みの中から引きずり出したのは毛皮の男だった。
彼女は座り込んだまま、ほんの少し身を強張らせる。何しろ殺されかけた相手である。あの時はヴァシリーに助けてもらったものの、目の前にして心穏やかではいられなかった。
毛皮の男もそれがわかっているのか、茂みから引きずり出した後は二、三歩後ろにずれて立った。
「こんなところで何をしている」
男は尋ねる。
「かくれんぼよ」
ヴァーシャは答えた。男はため息を吐く。

「不穏な動きをしないでもらいたい」
彼の言動だってヴァーシャにとっては十分不穏だが、毛皮の男はそう言った。
「あの方が同じ存在であるお前に執着するのは分かる。
 が、私には、お前が仲間だとまだ考えられない」
「だったらあなたがそう言ってくれれば良いのに」
少女は眉間にしわを寄せた。
「私はあなたたちにとって有益なことなんて何一つできないよ。
 能力的にも―――気持ち的にも」
また気分が沈んできたヴァーシャが、それを誤魔化すように強い口調で言う。
毛皮の男は微かに首を横に振った。

「私はあの方に逆らうことができない」
特に喜びも悲しみも籠らない平坦な声で、男は言った。
「私も決定的な部分では人形と変わらないのだ。
私の反対はあの方の気まぐれのようなものだ。もし彼が目障りだと思えば、私のお前への警戒心は始めからなかったもののように消え去るだろう」
ヴァーシャには毛皮の男があの虚ろな人たちと同種だとは思えなかったが、
男は至極冷静にそれを語る。
ヴァシリーは毛皮の男のことを、自身の延長線上にある、と言っていた。
とすれば毛皮の男との意志のぶれは―――そのぶれを許しているという事態は、ヴァシリーの中の迷いを表しているのではないか。
それはつまり。

「ちゃんと私を疑っている部分が、あの人の中にもあるってことね」
毛皮の男は黙って頷いた。
当然のことだ、と少女は少しプレッシャーが弱まるのを感じた。
と同時に、ほんの少しがっかりする。
わがままだな、と心中で呟く。

男はヴァーシャの心の内については気にせず話を続けた。
「ともかく早く心を決めて欲しいというのが私の要求だ」
つらつらと変わらぬ調子で喋る。
「出来るだけ早く王都への影響力を持てるようになりたいのだ。
 あの方の体がもたなくなってからでは―――」
「なにそれ」
つらつらと、ずっとそのまま話すので、ヴァーシャは危うくそれを聞き流してしまいそうになった。

「体がもたないってどういうことなの」
男が困ったように眉根を寄せた。
どうも意外と口を滑らせるタイプらしい。
「お願い、教えて」
ヴァーシャは彼が迷っている間に、たたみかけるように言った。
「早い判断に繋がることかもしれないじゃない」

毛皮の男は考えていた。そして言った。
「ひとりの人間の体の内で使うには、あの方の力は大きすぎる。
 今のままならばそう問題は無いが、これからはもっと強い力を手にしていかなければならない。
 だから、南の地に行って体と力の均衡を保つための術を手に入れるのだ」
「南の地には、それがあるの?」
「おそらく。少なくとも、崩壊を緩める程度の手立てはあると聞いている」
毛皮の男はそう言って、そしてそれ以上を話すつもりはないようだった。
これから力を大きくしていけば、従兄の体が駄目になってしまう。
でも従兄の中のものは、自分の目的を達するために、より大きな力を手に入れていこうとしているのだ。

「それを聞いたことは、言わないでおくね」
ヴァーシャは考え込んだまま、そう呟いた。
毛皮の男は心なしかほっとしたようだ。
「早く家に戻った方が良い。
 ここで見ていても、人が見ている間は何も起こらないぞ」
男はそう言ったが、特にヴァーシャを送ったりする気はないらしく、すぐに夜の闇の中へ溶け込んでいった。
遠くから獣の声がして、少女はふと森の暗さや寒さに気づいた。

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