22

月明かりである。
ヴァーシャは一人で森に向かって歩いていた。
家を出ることができた。両親には友人の女の子の家に行くと言ってある。
実際に終わったらその子のところの風呂小屋に泊めてもらう手はずだったから嘘ではない。時間帯が違うだけだ。
友人には口止めしておいたが、いつまで黙っていてくれるか分からない。何か勘違いしていそうだったからだ。
でもヴァーシャは取り合えず今晩だけその嘘が通用すればよかったので、気にせずに歩くことにした。
外は寒く、森に一歩入ると空気が一層冷たくなったように感じたが、気が張り詰めていた彼女にはさして大きな問題に感じられない。

昼に着た場所に着いた時にはもう真夜中だったが、まだ人はいなかった。
しかしうっすらと地面に模様が描かれ、台や箱なんかが隅の方にまとめてあるのが見えた。
少女は身を縮こまらせ、なるたけ気配を殺して傍の茂みの中にしゃがみ込む。
こんな真夜中に、真っ暗な森の中で座っていても少しも怖くない。
そんな自分に気付いて、やはりここが自分の故郷なのだろうかと考えていると、
彼女の瞳にちらちらと揺れながら近寄ってくる光の列が映った。

術師たちだった。
頭からすっぽりとマントを被っているので見た目からはわからないが、
前から三番目に居るのがヴァシリーだ、と少女は思った。
幸い、他の術師たちと同じように輪になって儀式に集中している風だ。ヴァーシャはほっとする。
彼さえこちらに気づかなければ大丈夫だと思った。

麻色の布できっちりとくるまれたものが地面の模様の中心に置かれる。
なんとなく、模様に森の力が入りこんだようだった。
術師たちは一つを残して明かりを消し、森の中に溶け込んで行く。
ヴァーシャにはわからない言葉で、なにごとか唱えた。
わからない言葉なりに一生懸命聞いていた彼女は、多分森の中にすむ何かを呼んでいるのだろう、と見当をつけた。
善いものが来るように、悪しきものが来ぬように。

呪文は心地よいものだった。
十人ほど集まっている術師たちが、加わったり抜けたりしながら波を起こすように唱えている。
少しうっとりしながら聞いていたヴァーシャだが、全員の声が合わさったところで目を見張った。
模様が中心におかれた体に集束した、ように見えた。
網を引き絞ったように、恐らく模様に籠っていた力が遺体の中に入っていったのだ。

―――入ったのかしら。

感覚を研ぎ澄ませようとしたところで、不意に強い違和感があった。
弾かれたように顔を上げても、そこには月しか見えない。
けれど、感じた。

「誰か、見てる……」

*

森からも村からも少し離れた場所に、小さな家があった。
瓦礫の中に取り残されたようにぽつんと立っているが、本当にその通りで、
昔この辺りまで遠征に来た王族が建てた屋敷が打ち捨てられ、
残っていた管理人の家だけが形を保っているのだった。

「あっち……やっぱり、やってる」
地面に幾重にも折り重なった布の中から声がする。
「強い力を集めてる。古い森の力、まつろわぬ緑の者たちの」
たどたどしいが確信を込めた呟きに、周りを囲んでいた男たちが静かに頷く。
「情報通りだ」
彼らは地図を広げて眺める。かなり大きな範囲の地図で、王都が中心に描かれているようだった。
「もっと細かい地図はないのかよ」
「こんな田舎の地図誰もちゃんとしたのは作ってない」
黒く塗られた森の中に、ぽつりぽつりと点のように村の印がつけられている。
そして、そのうちのひとつ―――丁度少女たちの、小さな村がある辺りには、赤い色でくっきりと丸が付けられていた。
男たちの一人がぽつりとつぶやく。

「儀式ということは……増えちまったな」
「だから一匹捕まえた時点で村ごと叩けば良かったんだ」
別の一人が憮然とした表情で言うが、周りは肩をすくめるだけだ。
「数が、増えてもそんなに脅威じゃない」
大きな布の塊がまた言う。
「昔とは違う……もうそんな力を持った“吸血鬼”は生まれてこない。
 どんなにたくさんいても、精鋭をぶつけて倒せないものは今までいなかっただろう」
男たちが頷きながら布の塊を見ると、布の塊の上の方がもぞ、と動いた。こちらも頷いているらしい。

「大元がいるはずだから、出来るだけ力の強いものに皆で当たるんだ。
 私たちの仕事は古い世の力を絶つこと」
男たちは互いに視線を交わしあう。
手を腰に下げた二本の剣に添えると、布の塊からの声に続いた。

「我らが王さまの名のもとに」

inserted by FC2 system