21

空の色は薄かったが、空気は暖かかった。小春日和だ。
ヴァーシャは森の中にいた。一人だ。はたきにするための枝を拾っている。
一人になれる時間は貴重だ。顔を上げて、彼女は小さく息を吐く。こういう時になら、考え事に集中できるからだ。

ヴァシリーの「目的」を聞いてからというもの、村人の中に紛れ込んだ人形たちの目が気になるようになってきた。
ヴァーシャがどうするつもりか見極めようとしているような、そんな気がする。
彼らの中には思惑なんてないのだろうが、どうしてもそう感じられてしまうのである。
加えて、年頃の娘たちの集まりやそれを見守る目、好奇の目なども増えてきて、少女はなんだかうんざりしてきた。
誰のことも気にせずに、ゆっくり身の振り方を考えたかった。


村を出るのは、怖い。
死ぬまでずっとここで暮らすものと思い、今までそんなこと考えたこともなかった。
けれどヴァシリーがいなくなった村で、自分はどんなふうに暮らしていくのだろう、と思う。
どちらにしてもひどく不安な感じがする。
生まれ育った家、慣れ親しんだ穀物小屋や風呂小屋。ずっと一緒にいた両親。賑やかな娘たちの集まり。
戻ってきた従兄との何気ない会話、秘密の共有、命を吹き込んでくれた手。
どちらのことも、考えれば考えるほど未練が出てきてしまう。
村の存在も、ヴァシリーの存在も、少女にとっては自分を支える大事な要素なのだ。

どうして選ばなければいけないのだろう。
選ぶのを拒否したらどうなるのだろう。
ヴァーシャは考える。
もしかしたら、餌として食べられてしまうのかもしれない。
それでも構わないかもしれなかった。自分だって人を食べたのだ。因果応報である。
でももしかしたら、なにもされないかもしれない。とりあえず、ヴァシリーがヴァシリーだけで南へ行くだけ。
仲間でもないヴァーシャはそれを見送って、彼が里帰りするたびにちょっと話したりするくらいかもしれない。

ちょっと会う時間が少なくなる、それだけ。


うわの空の少女は目に木の枝が映れば自動的に拾う、という作業を繰り返していたが、
身を屈めて手を伸ばしたとき、びくりと体が震えた。
おかしい。
何かを感じて周りを見渡すと、そこは見たこともない場所だった。
森の中にはよく入るが、一人ではここまで深く入ったことがない。ずいぶん来てしまった、と彼女は思ったが、いやな感じは道に迷ったとかではない。
そこは妙な場所だった。不思議な力を感じた。
もう一度視線を巡らせたところで、
「おい」
いきなり声をかけられた。

「こんなところで何してる」

現われたのは、術師たちの一人だった。
幸か不幸か、ほとんどヴァシリーのものになってしまっている術師の集団の中で、まだ普通の人間の一人だ。
手に袋と杖を持って、ヴァーシャのことを見下ろした。
「こんなところに娘が一人で来るものではない」
「ごめんなさい」
少女は素直に謝る。すぐに相手に背を向けてその場を去ろうとしたが、ふと彼の手に握られたものに目が留った。
布の塊だ。シャツだろうか、新しいものではない。長い上着の下になってよく見えないが、それには―――何か、赤黒い染みがついている。
何だろう、と思ったが、彼女はそれほど気にとめなかった。
ヤギか何かを殺したのかもしれないし、喧嘩でもしたのかもしれないからだ。

しかし、村の入り口まで戻ってきたところで事情が変わった。


「たいへんたいへん!」
森から出てきたヴァーシャを見て、馴染みの女の子が転がるように駆けてきた。
「どうしたの?」
「粉屋さんが、荷馬車の下敷きになったの」
女の子は興奮によってか、涙目でヴァーシャに訴えた。
「今、お医者さんと術師さんたちが治療中なんだって。
 でも、すごくひどいらしくって」
引っ張られて現場まで行ったヴァーシャは、その気の毒な粉屋が下敷きになったという荷馬車が横転しているのを見た。
生々しく残った血痕に、思い出されたものがあった。
背筋がぞわりとした。

今日、儀式をやるのだ。
あの場所は儀式のための場所だ。
根拠はないが、確信があった。あるいは遠い記憶かもしれない。
可哀そうな粉屋は助からないのだろう。だから蘇らせるために、術師が動いたのだ。
さっきのは事前の準備だろうか。本番は夜のはず。

不謹慎だ、と少女は思ったが、それでも思いは決まっていた。
見に行こう。
一体森のものが、人に入るとはどういうことなのか。
彼女は密かに機会を探しながら、夜を待った。

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