15

水車小屋の中には、小さな棚があった。
その中を覗き込んでごそごそしている少年を眺めつつ、
ヴァーシャは様々なことに思いを馳せていた。とりあえず今の第一の関心は力の使い方についてだったが、ヴァシリーが行くという南の土地や、毛皮の男のことなども気になる。
戻ったら今度はどうしようかとか、ヴァシリーは夕べの集いに来るのかとか、そんなことを一生懸命考えていた。

そして同時にヴァーシャは少年の話も耳に入れている。
しかし、耳に入れているだけだった。
残念なことに相手にあまり関心が無いのである。だから適当に相槌を打ったり、感心してみせたり、微笑んでみたりしていた。
運ぶものに関しての注意であればきちんと聞くつもりだったが、
少年にしても場を持たせるため……というより、一緒に来た者の存在を確かめるために口を開いているだけだろう。そう彼女は判断したのだ。夜の水車小屋は悪い霊が出ると言うし、怖いのをごまかそうとしているのかもしれなかった。

「じゃあ、誰も相手はいないんだね」

そんなわけで、いきなり手を取られて少女は唖然とした。

「僕、君のことをずっと見てた。なんかいつも、笑ってても寂しそうで、もっとよく知りたいと思ってて。もしよかったら、これからも会えない?」
「え……?うん」

一気にまくし立てられてつい肯定してしまったが、そんな話していただろうか。
あまりよく覚えていなかったヴァーシャは困ったが、気づけば少年との距離は随分縮まっていた。
戸惑ったままの彼女が抵抗しなかったせいか、少年は勇気をもって目の前の少女を引き寄せた。
ヴァーシャの方はと言えば、少々困ってはいたが狼狽はせず、どうしようかと思っていた。
ほとんど面識が無い(と彼女は思っている)少年に抱きしめられるという事態は、困りこそすれ喜んだり怯えたり、というような情動を生み出すようなものではないようだった。
少年の存在は少女にとって軽い。勘違いさせてしまったのだろうか。思ったより押しの強い子だな。でもいい人そうだし、何か気の毒だ。
そんなことをぼんやりと考えながら、なんだよくわからないが暫くして気が済んだら放してくれるくれるだろう、と楽観的な態度だった。

どうせだから、また何か読み取ってみようか。相手に意識を集中させる。
すぐにヴァーシャ自身の微笑んでいる顔が浮かんだ。こんな顔を彼に向けたことがあったのだろうか、と彼女は不思議に思う。すぐにそれはまた消えてしまい、何も見えなくなった。
それ以上のものはなかなか見えず、首をかしげてヴァーシャは目を閉じた。

すると、違和感があった。
やけに相手の体が温かいのだ。今は寒いし、上着越しでも相手が暖かく感じるのは不思議ではない。
けれど今彼女が感じているのは、不自然なくらいの熱だった。
熱でもあるのではないだろうか、と少年の顔を盗み見ようとしたが、丁度死角になってしまっていてうまくいかない。
ヴァーシャの頭もだんだんぼんやりしてくる。
なんだか温かさが心地良くなってきた。
寒いのに温かくて、眠い。これは寝たら死ぬというやつではないのか―――
ようやく危機感を抱き始めたところで、

「こらこら」

水車小屋の入口の方から、声がした。

「ここは逢引の場所じゃないよ」

戸口に立った青年は、少女の従兄の顔でにやりと笑った。
その台詞で、ヴァーシャは自分たちがどういう状態だったのか、今更ながらに理解する。
少年が声に反応して、気だるげに顔を上げる。
ヴァーシャはその隙に彼から離れ、小走りに戸口へと向かった。

「ごめん、これもってくね」

花火を一束抱えて、わき目も振らずに歩いて行く。
こんな風に逃げるのは失礼じゃないかしら、と彼女は思う。
なんだか変な感じだった。多分変だったのだろう。もし少年や従兄が自分のことを変だと言ったらどうしよう。
ヴァーシャは必死に水車小屋でのことを考えていたが、それは特に少年がどうとかいうことではなく―――
村にいられなくなったらどうしよう、という、それだけのことだった。


*


「こんにちは」

少女の従兄の顔をした青年は、少年に向かってにっこりと笑った。
少年は少々ばつの悪そうな顔をする。相手の親類にああいうところを見られる、というのは、なかなか居心地の悪いものだ。

「彼女のこと口説いてたの?」
少年は困ったような顔をして、急に現れたヴァシリーを睨むように見据えた。
良いところを邪魔されたとでも思っているのだろう、と青年は推測する。
少年は近所に昔から住んでいる、ヴァーシャの一家ともなじみの家の子だ。
確か普段からそれとなく彼女の周りをうろちょろしていたように記憶していた。それでもヴァーシャは彼に全く関心が無いらしく、ほとんど覚えていないようだったが。

「無理やりじゃないです」

少年はようやく一言言ったが、それ以上の元気はないようだ。否、はっきりと具合が悪いのだった。
外に出たがっているようだったが、戸口は青年がふさいでしまったいるため、それは叶わない。
心なしか足元がふらついてさえいるようだ。

「大丈夫?緊張したのかな」

少女の従兄は親切そうに言い、一歩少年の方へ踏み出した。
少年の顔がこわばる。目の前の青年が不穏な気配をまとっていることに気付いたのだ。
急いで小屋の奥へ後ずさろうとするが、少年が動くよりも早く、青年の手が彼に触れた。
そのまま、少年は音もなく崩れ落ちた。
間髪入れずにヴァシリーは少年の頭を掴むと、低い声で呟いた。

「立て」

すると、床に倒れていた少年はむくりと起き上がる。
感情のこもらない目をぱちりと開け、戻るようにと言われると、大人しく人々の方へ戻って行った。

水車小屋に残ったヴァシリーは、暫くその後ろ姿を眺めていたが、
ふう、とため息をつくとぽつりと呟いた。

「少しは影響が出るかと思ったけど――― これほど大きいとは思わなかったな」

そして、困ったように笑う。

「気を付けてあげないと」

その笑顔はひどく複雑で、嬉しそうでもあり悲しそうでもあり―――
ヴァーシャがもし見たら、そんな顔も出来たのね、というような、心からの笑みのようだった。

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