13

「勝手な真似をしたね」

少女の従兄の体を持ったそれは淡々と言った。
傍らに立つ毛皮を着た男に冷たい目を向ける。怒鳴りだすわけではなくとも、かなり腹を立てている様子だった。沈黙で弁解を促す。
毛皮の男は目の前の青年、彼を蘇らせた相手に向かって口を開いた。
「彼女はあれほど自覚が無いのに、我々に近づきすぎています」
彼はほんの少し困惑していたが、顔にも声にもそれは表れなかった。
「このまま放っておくのは危険だと考えました」

「そう…そうだね」
ヴァシリーは小さくため息を吐きながら答えた。
「いつ人間の側に付くか、あるいは力を露呈させるか、わからないからね。
でも」
目を閉じて、ヴァーシャの方へ意識を向けると、彼女の気配はとても弱弱しいものになっていた。
家へは帰り着いているようだが、どんな状態だろうか。
そんな事を考えながら、彼は彼の部下へ言い放った。

「食べるときは僕が食べる―――お前は絶対に手を出すな」

そのまま青年は男に背を向け、少女の家の方へ走って行った。


*


ヴァーシャは眠っていた。
寝床に倒れこんだら、もう体が動かなかった。おかしい、と思ったが、どうすることもできずに意識が薄れていくままにしていた。
母親が様子を見に来たが、疲れて寝ていると思ったらしく出て行ってしまった。
痛かったり苦しかったりはしなかったが、眠りながらも頭のどこかで困ったことになったと思っていた。

そうしていたのがほんの少しの間だったのか、それとも何時間もの間だったのかわからない。
しかし、腕のあたりから何か温かいものが流れ込んでくるような感覚に、びっくりして飛び起きた。

「あつい」

感覚が戻ってみると、温かいどころではなかった。痛みにも近いような感覚だ。
何が何だか分からずに腕の方を見ると、自分の腕をヴァシリーが握っているのがわかった。
少女が起き上がって目を瞬かせたのを見て、青年は黙って手を離した。

「まだ寝てた方が良い」
ヴァシリーは無表情でそんな事を言った。薄暗い部屋の中でこちらをじっと見つめてくる彼は、少し異様な雰囲気だとヴァーシャは思った。
「私、どうしたの」
「命を吸われた」

青年の声は非常に淡々としていたので、ヴァーシャはその言葉のおどろおどろしい感じに戸惑わずに済んだ。
「彼は君が他の人に……僕たちが人間でないことを漏らすかもしれないと思った」
「信用されてないってことね」
ヴァーシャもしていないので何もいえないが。
「そう、てっとり早く君を信用できる存在にするために、命を吸って人形にしようとした」

従兄の言葉に、少女は頷く。
多分人形とはあの虚ろな人たちのことだ。彼らは命を吸われて―――食べられてしまったのだ。
ヴァーシャもそうなるところだった。けれど、戻ってきた。

「助けてくれたの?」
少女は目の前の従兄に尋ねる。彼は答えない。
「何か熱いものが入ってくるのが分かったわ。どうして……
あなたは私に裏切られるとは思わないの?」

「裏切るって言うほど仲間なつもりなの?」
ヴァシリーはうっすらと笑みを浮かべた。

ヴァーシャは何も言えなかった。彼の敵になりそうなことをするつもりはないが、かといって他の人に彼のことをしゃべらない保証はないと思う。毛皮の男の思う通りだ。
現に女の子がいなくなったときは、ヴァシリーを疑って落ち着かなかった。
かといって村の中に虚ろな人が増えていっても、ただ静観している。
敵にはならない、だが仲間にもならない。それが従兄にとっての少女なのだ。
ヴァーシャは言葉を詰まらせ、彼の顔を見詰める。
見知ったはずの顔が、何だか知らない青年のようにも見えた。


「僕は、でも、君は誰にも言わないと思ってるから」
ヴァシリーはゆっくりと言った。
「君は最初からずっとそうだったから―――僕のことを知って、それでそのまま、見てくれると思っているよ」

思いがけない言葉に、ヴァーシャは目を丸くする。青年はそこでようやく、やわらかく微笑んだ。
「信じてるって言うの」
少女が困ったように言うと、相手は苦笑いを浮かべる。
「僕がそういうことを言うと、胡散臭いだろう」
「そんなことないけど」
ヴァーシャはただ、従兄がそんな風に言ってくれると思わなかったのだ。
もしかして仲間意識を高める作戦かもしれない、とさえ思ってしまうが、
少女が考え始めたとき、彼はまた口を開いた。

「でも喋ったら僕が、食べてしまうよ」
「喋った後に食べてもしょうがないってば」
少女が言うと、ヴァシリーは笑った。
「そうだね。でも報復だから」
笑顔のままそんな風に言うので、ヴァーシャは少しびっくりした。彼は続ける。
「もしそうなったら、僕が食べるから」
彼は言う。内容の割にひどく真摯な口調だった。

すい、と従兄の中の何ものかは手を伸ばす。
ヴァーシャの頭に巻いてたあったスカーフは、眠っている間に外れてしまっていた。
長く垂らした髪を軽く除けると、彼の手は少女の首筋に触れた。
きょとんとしているヴァーシャだったが、彼が触れた瞬間体を仰け反らせる。
触れられた箇所に痛みが走った。引っかかれたのかと思ったが、それとはまた少し違う。
冷たいものを当てられたような、変な感じだった。

「何するの!」
少女は慌てて言う。首筋にはもう何も感じなかったが、食べる食べないとかいう話題の後にいきなり何かされるとびっくりしてしまう。
「ちょっとしたこと」
そう言うと、ヴァシリーは彼女の首筋を覗き込んで何やら確認をしているようだった。
少女がいぶかしげな顔をしているので、懐からまじない用の鏡を取り出した。
受け取った彼女が自分の首を映してみると、触れられたところはうっすらと赤くなっている。

「どうしたの、これ」
「お守りだよ」
ヴァシリーは若干得意げに言った。

「他に僕みたいのが来ても、君が食べられないように」
ヴァーシャは毛皮の男を思い出して、首を傾げる。
「これがあると、防げるの?」
「こうやってしるしをつけて、僕が食べるものですよ、と主張すると、
 他の奴は食べられない仕組みになってるんだ」

「何勝手に予約済みにしてるの」
ヴァーシャは憤慨して抗議したが、青年はにやにや笑うだけだった。
「別に、最終的に食べられなければ君としても問題ないだろう?」
少女は鏡を覗きながら少し考えて、憮然とした表情で言った。
「なんだか、虫刺されみたい」
「……」
従兄は少し傷ついたようだったが、気を取り直すと立ち上がった。

「じゃあそういうことで……大人しく寝るんだよ」
「うん」
ヴァーシャは横になると、背を向けた彼を眺めた。
なんだか少し安心した。
彼女は従兄の中の何かのことをどう思えばいいのかよくわからなかったが、
自分にとって彼が他の人間とどう違うというのだろうか。
暫くは、人間とか人間でないとかではなくて、ただ彼そのものを見るようにしよう、とヴァーシャは思った。

「おやすみなさい」

声と共に明かりが消された部屋の中で、少女はまたまどろみの中へ戻っていった。

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