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先ほどがちゃがちゃした時点で緩んだのか、ドアノブは弾け飛び、青年とそれに続いた詩人は部屋の中に飛び込む形になりました。
彼らをまず迎えたリビングを通り過ぎ、青年は迷わず寝室の方へ向かっていきます。
「おい……」
詩人が声をかけた所で、青年が足を止めました。

寝室の寝床には、赤い大きな染みができていました。
外の空気に触れて既に幾らか黒ずんでいる赤色のその中心に、二人。
一人の腕には大きな鉈のような刃物。そこにこびりついた黒っぽいものも、以前は赤だったことが想像できます。
詩人は言葉を失って、その情景を眺めていました。

寝床の上の二人は、折り重なるようになって倒れていました。
上にいるのが詩人の友人でした。いつも結っている髪は解けて、水の中でそうなるように横に広がっていました。そして、ぴくりとも動きませんでした。
下にいる人影は、細くて白い手足が見えるだけです。どうなっているか良く分かりませんでした。

しかし混乱の最中にいる詩人とはまるで違った様子で、
青年はつかつかと寝床へと近寄っていきます。
そして、一言かけました。

「大丈夫?」

すると、くぐもった一声が返ってきました。

「重たい」

青年はお話を書く詩人の身体をころんと転がします。仰向けになった彼女の首の付け根に、小さな小さな傷と、細い赤い筋が見られます。
大きな刃物が床に落ち、そのまま幾度か弾んでごとごと音を立てました。
お話を書く詩人の下から現れた少女は、
真っ赤に汚れた寝巻きを纏って、ぐったりとしていました。
寝巻きの肩は縦に大きく裂けており、その裂け目に沿って赤い染みが広がっているようでしたが、その下に覗く肌には傷らしいものは見当たりませんでした。
代わりに、唇の周りが血で赤く汚れており、それに対してひどく白く見える尖った歯が、ちらちらと見える気がしました。

青年は少女を抱き起こして、自分も寝床の上に座り込みます。
「食べたんだね」
「食べてしまったわ」
ぼんやりと、小さい声で言う少女の身体を確かめると、
「正当防衛でしょ」
青年は何がおかしいのか、くすくすと笑いながら答えました。
「それに彼女、まだ生きているよ。
調達したばかりなんだけど、この人も人形にしようかな」

「……これは」
てっきり少女がお話を書く詩人の何か倒錯的な趣味の被害にあっているのかと思いきや、
来てみれば少女は無事、お話を書く詩人の方が倒れています。
詩人は訳が分かりませんでしたが、なんとか絞り出した声で二人に問いました。
「これは、一体どういうことなんだ?」
出してみると、詩人の声は意外と落ち着いていました。奇妙な二人を中心にした異様な空間で響く詩人の声は、むしろその場の異様さを助長していました。

「あ、忘れてた」
詩人に気が付いた青年は軽い口調で、にこやかに言いました。
「とりあえず黙っていてもらって」
詩人が不審に思って口を開きかけると、背後から思い切り拘束されました。
手で口を塞がれたままもごもごと抗議すると、詩人を押さえつけている相手―――詩人の侍医は、悪びれもせずに言いました。
「私の主はあちらなもので」
さっきのは見間違いなんかではなく、見知ったはずの侍医の目には何か今までに無かった虚ろな色が浮かんでいます。

ああ、知っているぞ、と詩人は思いました。
食事に、首の傷跡。妙な力。
にこやかに人の輪に入ってきて、人の血を啜る奴がいたはずです。詩人は押さえつけられながら、自分が今まで触れてきた昔話の幾つかの記憶を手繰り寄せます。
さまざまな昔話や伝説の中で、同じようではあるものの、他の種族とも混ざり合って、既にどこからどこまでがそうだか分からなくなっているけれども、不思議とそのイメージだけで、一つの単語で呼ばれていると、そんな風に言われていました。
「吸、血鬼」
詩人が聞き取りづらい声で言うと、
青年は詩人の方を見て軽く肩を竦めました。

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