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上に行こう、と青年が言うと、侍医が黙って立ち上がりました。
詩人もそれに続きます。なんだかよく分かりませんが、そうして当然、と言ったような雰囲気が漂っていました。
「あの少女のところへ行くって事かな」
詩人が小さな声で侍医に尋ねると、
「大丈夫ですよ」
というかみ合わない言葉が返ってきました。
詩人は不思議に思って首を傾げます。
侍医はそんな詩人にちらりと眼をやりましたが、特に気にした様子も無く足を速めました。
なんとなく目が虚ろなようにも見えます。彼も酔っ払っているのかもしれません。

青年が足を止めたのは、やはりというかなんというか、詩を書く詩人とお話を作る詩人の部屋でした。
がちゃがちゃ、と、何のためらいも無くドアノブを動かす青年。
もちろん扉は開きませんが、詩人はあわてました。
「一応人の部屋なんだから、ノックくらいしなくては」
「ああ」
青年はそれに思い当たらなかったようで、一瞬びっくりしたような顔をしました。
「でも問題ないと思」
「そこを退け!!」
なんだかのんびりとした青年の声は、突然の怒声に遮られました。

いつの間にか脇に立っていたのは、部屋の主であるところの詩を書く詩人でした。
「人の部屋の前で何をしてる」
何故だかとても怒っているらしい詩を書く詩人に、少々面食らいながらも詩人は答えました。
「ちょっともう一人のお客の様子が気になっただけさ」
詩人自身も付いて来ただけなので説明は出来ない訳ですが、
それでも相手の様子を見ていると、いくらか親しい自分が説明をした方が場が和らぐような気がしました。
「勝手に開けようとしたじゃあないか」
詩を書く詩人は言います。
「ちょっと酔ってたんだ。すまないね」
詩人は返します。詩を書く詩人はもともと神経質なところがありましたが、ちょっと今日は特別なようです。退散した方が賢明と思った詩人は、残り二人と階下に降りようと後を向きました。

しかし、青年はにこにこしたままでした。
「でも、僕は中に入らないと」
笑顔でとんでもないことを言い出します。
「彼女が血塗れになるのはごめんなんだよね」

―――血塗れ?
青年から零れたおどろおどろしい単語にきょとんとした詩人は、とりあえず訳が分からないなりに考えました。なんのジョークだろうと。
よく分からないなりの中途半端な笑みを浮かべつつ詩を書く詩人の方を見ます。
きっと自分と同じ顔をしていると思ったのです。
けれど、詩を書く詩人の顔は蒼白で、見開かれた目は血走っていました。

「……やはり、街の方から捜査に来たのか!」
捜査。
そんな単語でまた詩人は思いました。
血塗れ。後ろめたいことはこれか。そんな昼間の自分の思考が呼び起こされます。
どこか落ち着いたまま考え続けている詩人の前では、詩を書く詩人が華奢な青年に掴みかかっていくところでした。
止めなければいけないと思いましたが、止めなくてもいいとも思っていました。
青年はこの避難所での決まりごとを守らなかったのだから、どうなっても仕方が無いのです。追われてきた人の、その汚点を突いてしまったのですから。
人として助けなければと言う思いもありましたが、頭で思うほど早く身体は動きませんでした。
青年の身体は引き倒されて、そのまま階段の下に投げ落とされてしまうのではないか―――

しかしそんなことはありませんでした。
青年はあっさりと詩を書く詩人の腕を避け、バランスを崩した相手の首を掴みました。
その途端、詩を書く詩人の体がびくりと強張り、目を大きく開いたまま、その動きが止まります。
しばしの間青年は停まったままの詩を書く詩人の首を掴んでいましたが、
目を閉じてちょっと微笑むと、ぱっと手を大きく開きます。
詩を書く詩人はその瞬間、床に倒れ付しました。
侍医がその身体を押さえつけますが、特に必要は無いようです。

「何が起こったんだ……」
詩人が呆然としている間に、青年は少女がいるはずの部屋の扉に、思い切り体当たりしました。

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