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少女は言葉少なでしたが、お菓子を与えると物珍しそうに眺めてから大人しく食べ始めました。
詩人は相手の気にならないように気をつけながら、彼女を観察します。
服装はこの辺りのもののようですが、赤い布―――どうやらスカーフのようです―――には見かけない刺繍が施されていました。

「そう、迷子なのね。
 大丈夫よ、屋敷の者たちに今あなたの仲間を探させているから」
お話を書く詩人は少女につきっきりで、撫でたり話しかけたり実に楽しそうです。新しいペットを手に入れたような感覚なのでしょう。少女の方も時折うっすらと微笑んだりしているので、それなりに打ち解け始めたようでした。
詩人がそんな二人を眺めていると、苦い顔で彼に話しかけてきた人物がいました。

「またなのか、困ったものだ」
そう漏らしたのは、屋敷に残っていた詩を書く詩人でした。
お話を書く詩人の旦那さんであるところの彼は、奥さんがしょっちゅう道端の犬だの猫だの子どもだのを拾ってくるのに辟易していました。
「どうせすぐ飽きるだろう」
詩人は言いましたが、「飽きた後が問題なんだ……」などとぶつぶつ言っています。
その尋常でなく深刻な様子に、詩人はおや、と思いました。
これかな。

そもそもこの屋敷に滞在しているのは、基本的に訳ありの人間ばかりなのです。
王都や賑やかな街を離れた静かな湖。自身に問題があるか否かに関わらず、非難や中傷に追われて都から落ちてきた逃亡者たちが、ほとぼりが冷めるまでじっとしているのがこの保養地なのでした。
詩人がこの夫婦に出会ったのは2ヶ月前彼自身が屋敷へやって来たときのことなので、夫婦の事情は良く知りません。
しかし、ペットの処分に危ない橋でも渡ったか、あるいはそのまま落っこちたか。
お話を書く詩人のこの趣味の辺りに、なにか原因がありそうです。
といっても詩人自身人のことなんて言える立場ではないので、何も言わないで思考をめぐらせていました。
しばらくすると、お話を書く詩人が男二人の方へ寄ってきました。

「仲間とはぐれたらしいのだけど、それがどんな人たちなのか言いたがらないの」
「それじゃ探しようが無いじゃないか。なんのつもりなんだ」
詩を書く詩人は頭を抱えます。
「自ら名乗り出たくは無いけど、隠してもらいたいわけでもないような感じかな」
詩人は言いました。
「拗ねてるのね」
お話を書く詩人も言いました。
多分仲間内で一緒にどこかの屋敷にでもいたところを、喧嘩でもして飛び出したのでしょう。
自分から帰るのは癪ですが、かといって帰りたくないわけでもないという心境なのだと、詩人たちは少女について推測しました。
少女本人は次はどのお菓子を食べようかときょろきょろしていましたが、
時折窓の外を覗いたりもしています。

「……別の世界から来たのではなかったね」
「そんなことどうでも良いではないの」
詩人が小さな声で言うと、お話を書く詩人は何故か偉そうに胸を反らして言いました。
「あの子が来たおかげで、日常が壊されたのだわ。
 それって世界が壊れたのよ。新しい法則の発現よ」
「飛躍じゃないかね」
「今晩中に名前を聞き出すの」
お話を書く詩人は自分で話を飛躍させるのと、人の話を聞き流すのが得意でした。
詩を書く詩人は流石に慣れているようで、何も言わずに相槌を打っていました。

「ああ、皆さんいたいた」
固まっていた詩人たちの方へ、詩人の侍医が駆けつけてきました。
少女の身元確認を頼んでいた一人です。
「何か分かったのかしら?」
「それが大変だったんですよ」
何故かお話を書く詩人が最初に聞いたので、侍医はとりあえず彼女に返事をしました。
「人探しの依頼に行ったのに、何故か別の人探しを手伝わされまして……
なんでも昨日の晩、二件先の屋敷の使用人が一人消えたようですね」
「そうなのか?」
驚いて尋ねる詩人に、侍医は恭しく頷いて見せました。
夕方使いに出たきり戻っていないという使用人のことを、その屋敷の人間が探しているそうです。
「その消えた使用人が彼女ということは無いのだね?」
「年も背格好も違うようです」
詩人が視線を少女の方へ向けると、少女は目を大きく見開いて扉の方を見詰めていました。
それから腰を浮かせて、少しそわそわし始めました。

「どうしたの?」
お話を書く詩人の問いかけに被さって、玄関の方から詩人たちを呼ぶ支配人の声がしました。
「―――卿―――お客様です―――」
階下から響く声に、とりあえず玄関に向かう詩人です。本名で呼ぶなといっているのに、と舌打ちをしながら声の元へと辿りつくと、そこにはお客が一人待っていました。

「こんにちは、初めまして」
客人はにっこりと微笑みました。
まだ若い、綺麗な顔立ちの青年でした。
「女の子を一人、預かっておられると聞いたのですが」
柔らかく穏やかな口調ながら、その言葉はどこかで詩人を圧迫するようです。
「僕の連れだと思うんです。会わせて頂いてもよろしいですか?」
少女に良く似た琥珀色の瞳の彼を、詩人は黙って屋敷の中に招き入れました。

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