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黒い樹の器と職人の話 * 17

職人が自分の手を開いてみると、そこにあったのは小さな指輪でした。
黒く美しく艶めく小さな指輪。
いつでも身につけていられるように、王様の息子のお嫁さんにはこれを作ろうと決めていたのです。
突然作業中に現れた声や、完成した品物についてがにわかに信じ難く呆然としかける職人でしたが、我に返ると傍らの少女に急いで顔を向けました。

「括、できたよ!できたと思う」

少女は黒い指輪を受け取ると、眺めたり撫でたりして確かめていました。
そして頷いてにっこりしました。
「ああ。これならきっと彼女を救えるだろう」

職人は喜んで、とりあえず目処がついたことを使者の男に報告に行くことにしました。
「ならばこれを連れて行っておくれ」
括媛はそう言って、袂からするりと白い紐のようなものを取り出します。
それは見覚えのある小さな蛇でした。

「この間の白蛇かい?」
職人が言うと、白蛇は頷くように頭を下げ、括媛はぴくりと眉を上げて尋ねました。
「なんだ、知り合いか」
「そうみたいなの。ちょっとしたね」
今度は白蛇が答えます。
社の中でなくとも、喋るものは喋るようでした。
黒い樹の下へ戻せばいいのかと職人が問うと、使者の男のいる避難所で良いとのことです。職人は白蛇を布で包んで持ち上げました。
頭だけ布から出した白蛇が、何やら括媛から青い石のようなものを受け取ります。
最後に少女が「余計なことは言うなよ」と白蛇に言って、二人を見送りました。



「この間の状況からどうしてこうなったの?」
白蛇が言うので、職人は所々暈しながらことの起こりを説明します。
面紗のことなどを伏せながら話した結果、かなり無理矢理な話が出来上がり、白蛇に疑わしげに見つめられることになりました。

「話したくないのなら、別に良いのだけど……それより、大巫女さまは面紗を被っていなかったわね。どうしたの?」
ずばりと突いてくる白蛇に内心驚きながらも、職人はそれを表情に出さないように、
分からないな、と答えました。

「儀式の為に外したんじゃないかな」
「今日だけだったの?」
「…………そういえばもう少し前からかも」

どこまでも曖昧な職人に呆れたのか、白蛇は黙ってなにやら考え込んでしまいました。

*

職人と白蛇を見て、使者の男は大変驚きました。
というよりも白蛇を見るなりいそいそと奥の部屋へと連れ込み、その後涼しい顔で職人を迎えました。

「器が出来そうなのですね」
白蛇に聞いたのか、使者の男は明るい声でそう言いました。ひとしきり礼を述べた後、
「私も明日からしばらくは社へ戻っています。何かあれば避難所に残っている部下にご連絡ください」
と言いました。

さて職人が家に戻ろうと戸口に向かうと、白蛇がちょこんととぐろを巻いていました。
「僕はもう帰るけど、括媛に何かある?」
白蛇は首を振りましたが、続けて口を開きました。

「また改めて御礼をしますが、ありがとう職人さん。
あの樹を扱える人間が現れるなんて思わなかったけれど、
この次があっても、どうか頑張って。きっと大丈夫だから。
……あと、大巫女さまに気を付けてあげてね」

白蛇の予言めいた口ぶりはほんの少し括媛に似ているようで、
職人は頷くと家路に着きました。
なんとなく白蛇と作業中の声について考えをまとめて、

「ただいま、括媛―――」

括媛に確かめようと家の戸を開けたところで。
先程職人を見送ったそのままの場所で、
いつものように迎えてくれる筈の彼女が、倒れているのを見つけたのでした。

*

「括……!」

職人が駆け寄ると、少女は始め不思議そうに目を開きました。
「どうしたのだ……」
「こっちが聞きたいよ。具合が悪いのか?」
職人がとりあえず横になれる場所へ運ぶと、括媛は何が起こったのか理解したようでした。

「久しぶりに大きな力を使ったから、少し疲れたのだ……
驚かせてすまなかったな」
「…………」
職人は彼女の話を黙って聞いていましたが、身を起こすのがやっとというこの状態はやはりちょっと不安です。
白蛇の言ったことが頭をよぎり、ゆっくりと口を開きました。

「本当に疲れただけ?
面紗のときみたいに、何か一人でしようとしてない?」
少女は少し困ったような顔をします。逸らそうとする目を覗き込んで見ると、動揺している心のうちが見て取れました。
暫くすると彼女は観念したようで、ぽつぽつと話し始めました。

「……面紗だ」
「面紗?」
「あの面紗……大巫女の面紗は、昔世界を創りたもうた神さまが……
力が強すぎる人間に贈ったものだ。
力を面紗が受け流し、その中に眠らせてくれるように……身に余る力に、人の体が食われないように。
大巫女に選ばれるのはそういう子どもだ。代々受け継がれる面紗の主となって、それに助けられながら、神さまの創った世界と人をきちんとした形で繋がねばならない……」

「面紗も、力の器だったのか」
職人がぽつりと言うと、括媛は頷いて、自嘲気味に笑みを浮かべました。
「私も御子殿の嫁と一緒なのだ……面紗を与える訳にはいかなかったが……
皮肉なことに、面紗を失って初めて力になることが出来たな」

「黒い樹で器を作れば良い」
職人は言いました。
「面紗じゃなきゃならない訳ではないだろう?
御子さまの方はもう終わる。すぐに作るから」

「一人で出来るか?」
括媛は言いました。
「私はこのざまだ。もう術は出来ないぞ。
それに、さっき私が注いだのは、ただの念ではないぞ」

職人は問われて思い出しました。職人一人では黒い樹の欠片に呑まれるばかりだったことを。
王様の息子の嫁さんのための力の器が出来上がったのは、少女の術があってのことでした。
職人の中に誰かの念を―――例のお嫁さんを救うのに相応しい念を注ぎいれる術が。
「作業中に聞こえた声が、念の強さならば負けないと言った。
―――あの念は、御子さまご自身のものなんだろう」

職人の言葉に括媛が頷きます。御子さまの装身具に彼の魂を移し、それを儀式の最中に職人の方へ移したのでした。
「そのくらいでないと駄目なのさ」
この先を負えるくらいの気持ちがなければ、念で人の命なんて助けられないよ。
そう彼女は言うと、職人の方へ視線を向けました。
職人はどうしていいのか分かりませんでした。穏やかに諦めきっているような少女の態度が悲しいし、このことを今まで彼女が隠していたのに、何も気付かなかったことに自分で腹立たしい気持ちでした。

「もともと大巫女にならなければきっと私はここまで生きられなかっただろう。
来るべきものが来ただけだ……
だから仕方のないことなのだ。私が弱かったのは私の運命だから」
括媛は職人を安心させるように、柔らかく微笑みました。

「あの娘の力の器が出来上がるまでは見届けたいんだ……それまでここに居させておくれ」
「出て行く必要なんてないよ」
職人は言いましたが、少女は目を閉じるだけでした。

「動けるうちに、やはり面紗のことを……謝りに行けば良かったな」



衰弱した少女は眠ってしまったので、職人は起こさないように少しだけ離れたところで考え込んでいました。
この仕事が始まって出会ってから、いつも先へ進ませてくれるのは括媛だった気がします。
社から頼まれた力の器は出来上がりそうですが、いまやそれどころではありませんでした。
この器では括媛のことは助けられないのです。

「僕はいつも、肝心なところで何も出来てない気がする」
職人は陰鬱な気分でしたが、黒い指輪の最後の仕上げをしようと立ち上がりました。
すると、指に何か硬いものが当たります。
黒い樹の欠片でした。

こんなすぐ側にあったのに気付かなかったな、と職人は思いました。
気持ちが乱れているからか。
これでちゃんと作業が出来るだろうか、と思ったところで、職人ははっとしました。

彼は急いで黒い指輪の方に向かうと、仕上げの作業にかかりました。

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