story

黒い樹の器と職人の話 * 18

さてそんなこんなで数日振りに、職人は社を訪れていました。
いつもながら淡い薄紅の花びらが舞い、人々の活気のあふれる大きな建物です。
職人は壁にもたれて目を閉じています。
何をしているのでしょうか。
盗み聞きです。

古い力を扱う人々は、今日もやっぱり揉めていました。
もちろん声が大きい人が目立つだけなので、はっきりと対立しているのは二、三人ずつといったところでしょうか。
括媛の身体の調子について、何か有意義なことが聞けないかと思いましたが、なかなか話に入れそうな雰囲気になりませんでした。
何もなければ時間を掛けて話すこともできるのですが、拘束でもされたら家に居る括媛が心配です。

そして壁にもたれているのは職人だけではありませんでした。
話し合いに参加していない幾人もの古い力を扱う人々が、同じように言い争う声を聞きながら、自分たちの将来を憂いているのでした。
「この間の争いが、まだ続いているのかい」
職人は以前案内を頼んだ巫女の一人にそれとなく尋ねてみます。
すると彼女は首を振りました。
「そうであるともいえるし、そうではないともいえます。
もう話は出尽くして、ただ意地で言いあっているだけなのです。
誰も先のことが分かるような目も持っていないし、
第一私たちを導いてくれるはずの古い力も、私たちからは奪われてしまったのだもの」

職人は思います。
多分本当は、今こそ分かりやすい中心点が必要なのでしょう。
大巫女という名の、目に見える古い力の形。

「……大巫女さまは?」
職人は何も知らないような顔をして、不思議そうに尋ねました。
問われた巫女は悲しそうに首を振ります。
「私たちは古い力に見捨てられてしまったのかもしれません。
御子さまたちがいらしたときは、自分たちの影響力の話ばかりで、力のことなど誰も気にしなかったもの。
古い力を扱う大巫女さまは、人に嫌気が差してしまって、もうこちらの世界には戻ってこられないのかもしれません」

そんな風に思われているとは括媛も心外でしょうが、彼女に代わってそんなことないだなんて言えません。
職人は後ろ髪を引かれる思いでその場を離れようとしました。
そのとき。

「きっと戻ってくるんじゃないかな。
このままでは事態が収まらないだろうから」
朗らかな声がしました。

廊下の奥から現れた人影に、その場に集まっていた人々は目を丸くして、そしてじりじりと逃げ始めました。
「あ、ひどい」
声の主も目を丸くします。残念そうな口ぶりですが、そんなに深刻な様子ではありません。
結果的に盗み聞きをしていた人たちを散らしてしまった声の主は、
たった一人残った職人に、「どうも」と挨拶しました。

「ひさしぶりだね」
職人は言われて、ちょっと困ったように言いました。
「こちらでは初めましてです、御子さま」



現れた社の主は、作業中に聞いた声そのままの、まだ歳若い青年でした。

*

「君が器を届けに来たって聞いて」
王さまの息子はにっこりして言いました。
まず例を述べ、職人が届けた指輪を受け取ってすぐお嫁さんにはめたこと、
まだ完全に効果が見られたわけではないけれど、本人はとても身体が軽くなったといっていることを教えてくれました。
「あとね、白蛇が喋っても、驚かないで話してくれてありがとうって言ってた」
言い忘れてたんだって、と御子さまは明るく言いました。
やっぱり驚いて良いところだったんだ。やっぱり社の中の振舞い方は難しいと思う職人です。

「君は本当に黒い樹を扱いきってしまったんだね」
御子さまは感心したように言いました。
「また今度、こっちからお礼を言いにいくよ。改めて二人で」
「御子さま」

職人は御子さまの言葉を半ば遮るようにして、一つの問いを口にしました。
「念を籠めるとはどういうことでしょう」
職人の問いかけに、王さまの息子は首を傾げました。
「どういうこととはどういうことだろう」
「そのままの意味です。私は今までそれに幾度も失敗して、結局は御子さまと―――大巫女さまの、力をお借りしました。
今回は私の心持も違うような気がします。けれど、傍で見守ってくれていた括媛もいないのです。
もし失敗して黒い樹の中に取り込まれてしまったら、
彼女のことを助けられないかもしれない。
だから、今度こそ失敗しないように、念の籠め方を学びたいのです」

なんだか御子さまのお嫁さんのときは力が入らなかったみたいな言い草ですが、実際そうなのだから言い訳も出来ません。
そこの部分は素直に失礼ですがと付け加えて、職人は相手の返事を待ちました。

御子さまはじっと職人のことを眺めていましたが、
「多分、何も思わないことじゃないかな」
とっくり考えた後、そんな風に言いました。
「何も考えないようにしても浮かんでくるものを、籠めれば良いのではないのかな」
望みは具体的且つ集中したもの。喉の渇きのように単純なもの。
黒い樹の欠片に染み渡っていくように、純度のとても高いもの。
頭で考えているうちはまだ駄目なのだと。

それに、と御子さまは付け加えました。
「失礼でもないし。誰だって自分に一番近い誰かの為の痛みが一番強いんじゃないかな。
たとえ沢山の人を助けることの方が人としては重要だとしてもね」

職人はのんびりと言う御子さまの言葉に、
ほんの少しだけ笑いました。



家に帰った職人は、眠っている括媛の様子を覗いてから、
黒い樹の欠片の前に座りました。
手を動かさずにただ座りました。
自分の周りに広がる空間が少しずつ変わっていって、真っ黒い中に光の筋がきらきらするその光景が広がっていっても、職人は自分の心の中だけを見ていました。

彼がようやく手を動かし始めた頃には夜が来て、また朝が来て、
そして二度目の夜が訪れて―――

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