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黒い樹の器と職人の話 * 16

括媛がいなくなって二日が経とうとしていました。
職人は外に出たついでにそれとなく彼女の居場所を探ってみたのですが、村人の中には彼女を見かけた人はいないようでした。
帰ったのだとしても社までは遠いし、何だかんだいって世間知らず―――というか専門以外はからっきしのようだった彼女のこと、どうしているか心配です。
「危ない目に当ってないと良いけど」

そんなことを考えながらものを作っていると、
玄関の方でからんと音がしました。
黒い樹の欠片に向かっていた職人は一瞬聞き逃しそうになりましたが、

「カガトミ」

聞き慣れてしまった彼女の声に、はっと顔を上げました。

「括媛」
「大丈夫だったか?黒い樹の欠片に喰われてしまっているのではないかと思ったぞ」
「喰われてない……」

どこに行っていたのかとか、こっちだって心配したのだとか、色々と言うべきことがある気がする職人でしたが、括媛の様子がいつもと何処となく違うことに気付いて口をつぐみました。
不思議そうに自分を見つめてくる職人に、少女は少しだけ固い笑みを向けました。
「気付いたか」
彼女はそのままじっと職人のことを眺めていましたが、
職人が別れたときよりも大分回復しているようだと見て取ったのか、「大丈夫そうだな」と呟きました。

「どうしたんだ。何かあったんだろう」
「お前は黒い樹の欠片だけに集中していて良い」
唐突に括媛は言いました。
「私が十分な念を注ぎ込むから……
お前は形を変えることだけに集中してくれれば良い。
全部一人でやることなんてないんだ」

彼女は切々と言い、職人の手を取って黒い樹の欠片の前へ導きました。



「じゃあ始めるけど、君はどうするんだい?」
「私は媒介だ。お前の中に、御子の嫁を救う為に必要な念を注ぎ込む。
 腕を掴んでいても構わないか?」
「抑えてるんでなければ」
「よし」

少女は小さな手を職人の片腕に添えると、また職人の顔を眺めました。
「私は人でないものと繋がったことはあるが、
 人とはまだ人間としての交わりしか持ったことがない。
 つまり古い力を使って人と繋がるのは初めてだということだ。
 お前にも負担が掛かると思うが……私に委ねてくれるか?」
委ねてくれるも何も、危うく聞かれる前に始めてしまうところでしたが。
職人は一応考える素振りを見せてみましたが、直ぐに微笑むと言いました。
「僕は信じてるから。君自身も、君の力も」

括媛は嬉しそうに笑うと、こくりと頷きます。
そしてそのまま目を閉じました。
職人は黒い樹の欠片の方へ意識を集中させました。

彼の意識が黒い樹の欠片に飲み込まれる前の一瞬に、
視界の隅にちらりと白い陰が見えました。

*

いつもと違う。
職人は思いました。
まず、黒い樹の欠片の加工を始めたというのに、職人の意識が残っています。
久しぶりに手を動かしながら感じる自分の心というものに、
職人は違和感すら覚えました。

よく見ると目に映っているのは自分の家ではありません。
黒い樹の中に似た、真っ黒い空間でした。ちかちかと瞬く光の帯が時折横を走っていきます。
いつもこんなところで作業してたのか。
気付かなかった自分にびっくりです。
とにかくものを作ろう、と気を取り直してみましたが、どん、という音と共に地面が揺らぎ、折角整えた姿勢がまた崩れてしまいました。

どうやら黒い樹の欠片が揺らいでいるようです。
「どうしたんだ……?」
どうやらこれが括媛によって引起されていることのようです。
自分の動きによって、彼女のしていることにも影響が出るかもしれません。
このまま作業を続けて良いものかと職人が悩み始めたところ、

「良いんだ。早くした方が良い」

何処からか声が聞こえました。



「許した覚えのない者が入ってきたから、黒い樹の欠片というのも戸惑ってるのさ。
それでちょっとだけ君に余裕が出来たんだね」
見知らぬ声は朗らかに言います。
「……どなたですか」
職人が呆気にとられたまま尋ねると、声は笑います。
「大巫女さまに連れてきて貰ったんだけど。
 彼女の力で君の中に入って、念を籠めろって言ってたよ」
つまりは括媛がよこした援軍ということでしょうか。
「君の意識が残ってるなら、僕でなくても良かったのかな」
一人で喋っている声は、職人とそう大して変わらないだろう、まだ若い男の人のものです。
大巫女は人と人でないものを繋ぎ合わせるとか何とか、以前少女から聞いた覚えがありますが、人と人とを繋ぎ合わせることも出来たようです。

「多分、貴方が入ってこなければ僕の意識は今無かった」
職人は声に向かって話しかけました。
「うまくいきそうだ。助かりました」
「あれ?ちょっと待って。僕が頼まれたのはこの先なんだけどな」
かしこまってお礼を述べた職人に、声はちょっと慌てたように笑いました。
姿形は見えませんが、余裕のある声の表情に、職人もまた落ち着いてきます。
結局声の正体については保留にして、作業を進めることになりました。

声は言います。
「大巫女さまが、僕が一番適任だって」
「念を籠めるのに?」
そうだよ、と声は言い、そのまま沈黙しました。いよいよ作業に集中するときが訪れたようです。
手を動かしていると、何やら青白く光る渦のようなものが、くるくると黒い樹の塊に吸い込まれていきます。
どうやらこれが念というものでしょうか。
黒い黒い空間の中で、やっとうっすらと浮かび上がって見えるそれは、職人が今まで見たことのある何ものにも似ていないようでした。
職人が見知らぬお嫁さんを助けたいと念を籠めてみても、目に見えるほどのそれは浮き上がってはきませんでした。


黒い空間の中では、時間の感覚が良く掴めません。
何分かそれとも何週間か、自分がどのくらいの間作業を続けているのか分からないのです。
それでも彼の手の中では小さな細工物が出来上がっていき、渦を巻く青いなにものかに彩られて、徐々に形を固めてゆきました。
そろそろ職人は形を作っていくので精一杯でしたが、光る青い渦は衰えずに周りを巡っています。

なるほど、あなたは適任なんだ。
職人はもはや口を開く余裕が無かったので心の中で呟きましたが、声の主には聞こえたらしく、また微笑む気配がしました。
「そうだよ。今回の術に必要な念だったら、誰にも負けないさ」

声の主がそう言ったのと、職人が細工物の形に満足を覚えたのはほとんど同時でした。
また地面が揺らぐような気配がして、職人はいつの間にか自分の家の中に座っていました。

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