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黒い樹の器と職人の話 * 15

河の側では社から使わされた人々が、危険がないようにと見回りをしていました。
勿論職人が寄っていっても流れが見えるところまでは行かせてもらえませんでしたが、
慌しく緊張した空気が流れていました。

続いて彼は、河近くに住んでいた人々が避難している集落まで足を運びました。
最初は社の中に受け入れていたようですが、
距離があるのと避難する人の数が増え続けているのがあって、それにも限界が来たとのことでした。
生活に必要なものを分け与えるのにも苦労しているようでしたが、
住むところを追われた人々の心の状態も同じように深刻でした。

―――ということを語ってくれたのはなぜか其処にいた王様の息子の使者の男でした。
「どういう様子だかちょくちょく見に来てるんですよ。
 時間があればあなたの所にも寄ろうと思ってましたから、丁度良かった」
彼は落ち着いた笑みを浮かべます。
「この辺りは土地が豊かなのが幸いですね。すぐ側に必要なものを補給できるところがあるし。
 数年前にはこの河も良く荒れていたらしいので、人々もある程度慣れていますしね」
朗らかに言いますが、やはりふとした瞬間にため息が漏れるようでした。

自分がきちんと器を作れれば、河の氾濫も治まるのだろうか。
わが身が不甲斐ないと思わず視線を下に向ける職人でしたが、使者の男は事情を知らないので、ただ不思議そうに彼を眺めるばかりです。



「……器のほうは、如何ですか」
「……難航しているんです」
問われて職人は正直に答えます。
「そうですか」
それでも黒い樹の欠片を手に入れているのですから、我々から見れば大きな前進ですよ、と使者の男は言いました。
それから暫く黙った後、河の方を眺めている職人に、使者の男はおもむろに言いました。

「古い力を扱う人々は」
はっと職人が振り向くと、使者の男はやんわりと微笑みました。
「悩んでいるみたいです。象徴は必要なのですが、象徴足りえるほどの説得力を持った才能の持ち主が、いなくなった大巫女の他にいないのだとか。
 正式に捜索をしてくれといわれてしまいまして、ちょっと困ってます。今は様子見ですが」
「……そうなんだ」
「このまま見つからなかったら、まとめきれずに散り散りになってしまうかもしれないですね」
使者の男は肩を竦めるようにして、軽い口調でそう言いましたが、
その目がなんだか自分の様子を鋭く観察しているようで、
職人は気づかない振りでそそくさと帰ってくるしかありませんでした。

*

河から戻ってきた職人は、それからまた数日間黙々と作業をして過ごしました。
殆ど休まず続けたために、黒い樹の欠片の再生が追付かなくなったほどです。
括媛はそんな彼の様子を見守っていましたが、ある日真っ青な顔の彼が立ち上がろうとして崩れたとき、流石に見かねて声を掛けました。
「カガトミ、一日くらい休みを入れた方が……」

しかし職人の耳には届いていないようで、彼はよろめきながらもまた立ち上がりました。
その目は一瞬宙を彷徨った後、黒い樹の欠片の上に止まりました。
「待て!」
少女は慌てて職人の腕を掴み、引き止めようとしましたが、
「駄目だったら……!っ!?」
何の手加減もなく腕を振り払われ、細い身体が床の上に倒れ伏しました。
痛みに一瞬蹲る少女でしたが、ただ黙って吹っ飛ばされるような彼女ではありません。

「括媛……!」
倒れたとき少女に思い切り腕を引っかかれた職人は、ようやく正気に戻って床の上の少女に駆け寄りました。
痛めた所は無いようなので一先ずほっと息を吐きますが、自分でも何故あんなことをしたのか分かりません。
「ごめん」
それ以上の何も言えずに黙り込んだ職人に、括媛は言いました。
「焦らなくて良い。お前は黒い樹の欠片に引き込まれてしまっている―――心に余裕を持たなければ、どんどん喰われてしまう。休むんだ」
「時間が無いんだ!」
職人は言いました。
「もう村がひとつ飲まれた。でも苦しんでいる人々を直に見てさえ、黒い樹に向かうとそういうものが全部消えてしまうんだ」
結局彼らのことは他人事なんだ、と彼は言って項垂れてしまいました。

「カガトミ」
しばしの沈黙の後。
少女の優しげな声が響きました。
「そんなの仕方がないんだ。誰だって目の前の自分の望みの方が大事だよ。
お前にとって作ることがそれほど大事だというだけだ。
……それに、お前の望みがそれだけではないことを私は知っているよ」
黒い樹の力に引っ張られて、抜け出すきっかけがつかめないだけさ。
そんな風に彼女は言うと、職人の頭を抱え込むようにして撫でてくれました。
子どもにするような慰め方だなあ、とぼんやり思いましたが、
なにやら安心してしまった彼は、久しぶりにぐっすり眠りました。


さて、職人にはそういったものの、括媛には彼を助ける方法がなかなか思いつきませんでした。
彼は魂のかなり深いところまで黒い樹の欠片に結び付けられてしまっているようです。
だからこそあの奇妙な素材を扱えるのでしょうが。

おまけに今の彼は心身ともに衰弱しています。
黒い木の香えらは、自身の変化のためにカガトミを食潰すつもりなのかもしれません。

「時間が無いな」
括媛は眠っている職人をほんの暫く眺めてから、
そっと家を出て行きました。



職人が目を覚ますと、家の中がなんとなくがらんとしていました。

「括媛」

呼んでみるものの、返事はありません。
不思議に思った彼は家とその回りのそこかしこを探してみましたが、
少女の姿は見当たりませんでした。

愛想を尽かして出て行ってしまったのだろうか。
尽かす愛想があったのかもよく分かりませんが、職人は何やら寂しい気持ちになり、黒い樹の欠片を前に考え込んでいました。
黒い樹の欠片は、多分括媛がやったのでしょうが、裏の失敗作や道具などが置いてある片隅に隠してありました。
しかしそれにもかかわらず、職人は迷いなくそこへとたどり着き、今こうしてまた向かい合っているのです。
本当に取り付かれてしまっているんだな。
なんだか関心にも近い思いで黒い樹の欠片を見つめている間に、
また何か作るべきものが頭の中に浮き上がってきました。

*

荒れた河から逃げ出してきた人々の集落の入り口には、
社から派遣された人々が滞在する小屋が建てられていました。
王様の息子の使者の男はも例によってそこで作業の視察をしていましたが、
ふらりとその場に現れた人影を見てぎょっとしました。

「御子殿へのお取次ぎをお願いしたいのだが―――」
「何やってるんですかこんなところで!」
ちょっと仕事を頼んでいるだけの職人であれば何とかごまかしも利きますが、
王様の息子の直属の部下である自分が行方不明の大巫女と会っているとなれば、どんな誤解を受けるか分かりません。
万が一にでも一緒にいるところを見られたら大変です。

「心配せずとも私の顔を知っている人間は殆どいないぞ」
少女は言いました。
「それでも嫌なんです」
使者の男は小屋の中に少女を突っ込むと、ひそひそと話の先を促しました。
「御用は何でしょう」

「御子殿に協力して頂きたいことがあるのだ」
切羽詰ったような真剣な表情で、括媛は言いました。
「彼の妻を助けるために」

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