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黒い樹の器と職人の話 * 12

少女はひとりで座っていました。
あまり外には出ないように言われていました。彼女は未熟だけれど次の大巫女に決まっていて、下々の者に触れられるのは好ましくなかったからです。
傍にいるのと言えばそろいの面紗をつけた侍女たちと、少女を導く大巫女さまだけでした。
大巫女さまは厳しい人だったので、少女は尊敬していたけれど近寄りがたく思っていました。
大巫女さまは言いました。

「大巫女の面紗には大巫女の全てが籠められている。人々と古い力をつなぐ象徴だ。
この世界は古い力によって作られたのだから、古い力をなくしてはならないし、
妾たちは古い力を尊重しなければならないのだよ」
少女は幾度も大巫女の責任と使命を言い聞かされ、自分の力を噛み締めていました。
彼女は次第に古い力を忘れていく人々と、古い力を籠められた土地や樹や沢山の者たちの間に立たなければならないのです。

「だから面紗なのだ」
と大巫女さまは言います。
「人の顔を晒してはならない。大巫女は人ではない。
 仲介する者としての資格と説得力を長い時間を掛けて手にしたのがこの面紗なのだ」
象徴なのだよ―――
そうお大巫女さまは言いました。

少女は思いました。自分は人間ではなくなったのだと。
大巫女さまが亡くなって彼女自身が大巫女になると、余計そう感じました。
大巫女の仕事は大人しく座っていること。時折黒い樹などと通じては世界の中の古い力を感じ取り、それについて仲間たちに語ったりしました。
また、分かりやすい形で大きなまじないをしたりはしましたが、それ以上の何も彼女はしないのでした。
古い力を扱う人々の集まりにも色々あるらしく、
方針などを決めるときには彼女は必要とされませんでした。

暫くすると社に呼ばれました。
新しい権力者が作った建物に、少しの仲間たちとともに入りました。
ある意味人質だったのでしょう。
けれどそこで、少女は自分と同じような大きな力を持つ娘と出会いました。
少女より少し年上のようでしたが、威圧感もなく、大巫女という立場にも怯まない娘。
王の息子の嫁―――という複雑なようなそうでないような彼女は、
相変わらず黒い樹のところ以外は出歩かないようにと言われていた少女の下へやってきては、色々と話をしていってくれるのでした。
まるで普通の友達のように。



「大巫女の役を全うしようとするのは良いことだと思うけど」
いつも大巫女としてきちんと振舞おうと必死だった少女に、その娘は言いました。
「ときどきは思い出してあげたほうが良いわ、
 あなたは人間の女の子なのよ。自分が誰かを忘れたら、私たちみたいなものは力に飲まれてしまうわ」
そう言って彼女がくれた、あの鏡。
可愛らしい小鳥がついていて、少女は朝晩覗いては嬉しくなったものです。
面紗を外して鏡を見ると、自分が誰だったのか思い出すことができました。

時折少女は思うのです。今更大巫女がいる意味が本当にあるのだろうかと。
御簾の奥にただ座っているときや、一人で鏡を覗いたりするときには特に。
すると、
「それでも、」
そう手元の面紗が言うような気がしました。
「お前は大巫女でなくてはならないのだよ」


*

大巫女だった少女は薄闇の中で目を覚ましました。
どうやら馬車の中に入れられたまま眠ってしまったようです。
どれだけ寝ていたのか分かりませんが、既に地面が揺れておらず、自分が布団の上に寝ていることから相当な時間が経っているものと思われました。
「…………」
自分を連れてきた相手を探してみると、部屋の丁度反対側の壁際にぴったりと布団を敷いて寝ているのが見えました。
よく考えたら、名前も知らない人に付いて来てしまったわけです。少し冷静になった少女は自分の無分別さに呆れましたが、それでも職人のことを悪い人だとは思わなかったので、特に危機感無く寄っていって座っていました。
職人の傍らには黒い樹の欠片が置いてあります。
少女がそれを眺めていると、職人がゆっくりと目を開きました。

「……おはよう?」
「お早う」
遠くで眠っていた筈の少女が側に来ていた為、起き抜けにきょとんとした顔をすることになった職人です。
その彼の前に座って姿勢を正すと、大巫女だった少女は神妙な声で言いました。
「すまないな」
「え?ああ」
職人も慌てて眠気を払うと、少女の方へ向き直りました。
「貴女は黒い樹のことで助けてくれた。謝らないで欲しいな。
 ……とりあえず、落ち着いたみたいだね」
「見苦しい真似をした」
少女は自分の醜態を思い起こして少々顔を赤らめましたが、
思い直して真剣な表情で職人を見つめました。
「言いにくいのだが―――」
口を開いた少女に、職人は少しだけ顔を曇らせます。
「やっぱり社に戻るかい?」
「否」
床に手をつくと、少女は言いました。

「私をここに置いて欲しいのだ。
 黒い樹の器を作る手助けをさせておくれ」



「本気?」
そう言って誘ったのは自分のくせに、職人は思わず聞き返していました。
あまり普通の女の子が乗るような誘いではないと思ったからです。
「本気だ、私にできることならなんでもする」
大巫女はこくりと頷いて職人を見ます。
「何ができるの?」
「鬼火を飛ばしたり、蛙を呪い殺したりすることができる」
「しなくていいよ!」
職人がおっとりした彼にしては珍しく大声を上げたのを見て、大巫女は笑っているような泣いているような、曖昧な表情で頷きました。

「……黒い樹に関して困ったことが出てくると思うから、そういうときに助けて欲しいな。
 あとは気にしなくて良いよ。あなたは恩人だと思ってるし、大巫女さまだし」
「もう大巫女ではない」

職人の言葉を遮るように、少女はそう言い放ちました。
「面紗が無い私は、力があってもただの人だ。
 だから、人の味方をする。助けたい者を助ける。均衡も関係なく」
そう決めたのだ、と。
「大巫女さま……」
何と言って言いか分からず、職人は声を掛けましたが、
「大巫女ではないのだ」
と言い返されました。そうか、と思っても、他に呼びかけようもありません。
よく考えたら、名前も知らない子を連れて来てしまったわけです。
相手を見つめていると、少女は彼をまっすぐ見て口を開きました。

「大巫女ではない―――括だ」
「え?」
「くくり。私の名前だ。……あと、あなたなんてもう言わなくても良い、です。大巫女じゃないからです」

喋り方を偉そうではないように努めたらしい少女ですが、
なんだか片言の人みたいになってしまいました。
職人は目を丸くした後、微笑んで言いました。
「口調まで変えられるとかえってやりにくいかも」
そして、すいと手を差し出して彼女の手をとります。
「僕はカガトミ。よろしく、括」

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