詩人の話 1



詩人がいました。

詩人は詩人の名前になって、湖の畔にあるお屋敷に、仲間と一緒に住んでいました。
湖は深い緑色に白樺を映す美しい場所で、
詩人というのはそういうところで暮らすものだったのです。
詩人は詩を書くのだけではありませんでした。お話を書く人も、話す人も、歌う人も、とりあえず言葉を使って何か抽象的なことをする人々は、どうも皆詩人と呼ばれるようでした。

「ここはとても良いところだけれど」
と詩人は言いました。
「私は詩人なのだから、そろそろここを出なくては」
と詩人は言いました。
この詩人は詩もお話も作りませんでしたが、色々なところに行って昔話や伝説を集める詩人でした。
湖の畔でじっとしていればインスピレーションは沸くかもしれませんが、新しいお話を集めることはできません。
しかし空を見上げるたびに、やれ今日は日が照りすぎているだの、やれ今日は雨で気が重いだのいって、なかなか屋敷から離れることができないのでした。

「心が傷ついているからいけないのだわ」
と詩人の仲間が言いました。お話を書く詩人でした。
「美しい景色を見ているうちに、少しずつでも慰められていけば良いのだわ。
でも外に出て行っても、また心が傷つくのは止められないことだけれど」
寄り添って優しげな言葉をかけてくれる、このお話を書く詩人は美しい女の人です。詩人はとても惹きつけられましたが、なんだかやる気が出ませんでした。
湖もそうです。毎日見ていても飽きることなく美しい湖でしたが、それだけでした。
今の自分が美しく感じているだけだ、と詩人は思いました。
もっと永く、絶対的なものが欲しかったのです。


それでも詩人はお話を書く詩人と一緒に、ゆったりと湖の周りを散歩し始めました。
もうそろそろ夏になります。葉の音がしゃらしゃらと耳に心地よく、二人はうっとりと歩きました。
詩人たちは美しいものが好きでした。そして美しいだけでなく、どこか神秘的なものが好きでした。
湖はそういう場所です。どこか別のところに連れて行ってくれるのではないかと思わせるような、得体の知れない雰囲気を持っているのです。
「そういうところに期待してしまうのかもしれないね」
詩人がそれを話すと、お話を書く詩人は微笑みました。
「世界中を旅していると、そういうところがいくつかあるそうよ。
 どこか別の空間とつながっている、特別な場所が。ここがそうでないと言い切れて?」

どこかとつながっている。
そんな言葉に、詩人は何とはなしに視線をめぐらせました。
まばらながらもどこまでも続く白樺の林。光を吸い込むような不思議な緑の水面。
その景色の中に、ちらりと赤いものが映りました。

「なんだろう」
詩人が顔を向けると、お話を書く詩人も不思議そうに首を傾げます。
早足で白樺の間を抜け、自分たちが見たものへと近寄って行った彼らが見たものは、
湖の畔でうずくまる、赤い布を握った一人の少女でした。

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