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常世の織物と旅人の話 *10

空間を揺らしながら現れた娘を見て、その場に居た人々が呆気にとられます。
きょとんとする大臣たちを眺めた後、娘は王さまに目を留めて言いました。
「あー、昨日ぶり」
綾目の大臣がそれを聞いて不思議そうに、
「陛下?お知り合いですか」
尋ねましたが、王さまも呆然として娘の姿を見ています。
なんとも不思議なことに、王さまも今彼女と会ったことを思い出したのです。
つい昨日のことだというのに、探していたはずだったのに、
そのことが殆ど気になることとして認識されていなかったようなのです。
人々の驚きを他所に、娘はゆらゆらと揺れる景色の中に浮かんでいました。

「常世の人間だね」
いつの間にやら駆け付けていたメーテルリンクが小さな声で言いました。
綾目の大臣が小さく頷きます。
「異界の人間か…」
綾目の中では異界の人間には触れないほうが良いとされていました。
彼等はこの世の存在ではないからです。




一方、月読の大臣はすぐに我に帰り、何も言わずに手を挙げました。
黒服の女官たちが動きます。
「待て、何をするつもりだ」
「捕らえるのです」
王さまが言うと、月読の大臣は何を今更、という調子で答えました。
壁抜けの娘をちらりと見ると、王さまの方へ視線を戻します。

「丁度良いのでこのまま王さまと結婚して頂きましょう。
 何だかわかりませんが変な力があるようですし、
 お子様に受け継がれれば何かには使えそうです」
しらっとそんなことをいう月読の大臣を、王さまは信じられないような気持で見つめました。
いきなり現われた得体の知れない娘を、正気の沙汰とは思えません。
「あ、あの……月読殿」
呆然とする王さまの横で様子を見守っていた綾目の大臣がおずおずと切り出しましたが、
「あなたは黙っていなさい」
と一蹴されてしまいました。

「……いい加減にしろ、本人の意見も聞かずに勝手に決めるな!」
王さまが怒りの声をあげたので、
月読の大臣は目を細めて少しばかり黙りました。
しかし若い王さまの二倍近くの年齢である大臣のこと、落ち着いて言い返します。
「王さまが、積極的に意見をなさっていればこうはならなかったのですよ」

王さまがぐっと言葉に詰まったところで、
野次馬と女官の壁を割って兵士が一人走りこんできました。



「王さま!」
「なんだ!?」
こちらの事態も全く収束がついていないのにまた何か起こったのかと、
王さまが大きな声で返事をすると、
「件の娘があちらで確認されました!」
兵士は朗々と報告を読み上げました。

締め切られた厨房の壁からいきなり現れた娘は、
その場に居た人々に取り押さえられそうになりましたが、
慌てて壁の中に戻ろうとしており、今引っ張ったり引っ張られたりしているようです。

「……どういうことだ」
空中の娘と兵士とを見比べて、王さまが顰め面になって呟きました。

*

さて、喧騒を離れた王宮の片隅。
宝が安置されるそこには、小さな二つの声が響いていました。
「年の終わりの花火は良いものだ」
「……」
ひとつの声はよく響きましたが、もうひとつの声は殆ど発せられていませんでした。
「一年は区切りだ。年の終わりの日は終わりであり始まりでもあるのだよ。
 だから均して整えて、すべてを綺麗にする必要があるということだね。
 特に人が住む所には澱が溜まる。それが最高になったときに、光と音でそれを祓う。
 それがあの花火というわけだ」
「……お前がこの世界の仕組みが大好きだということはよくわかった」
「美しいだろう」
「私にはそうは見えない」
どうもひとつの声は花火があまり好きではないようで、
嬉しそうに語り続けるひとつの声に向かって呻くような声を返しています。
白い体を床に伏せてじっとしている姿は、なんとなく蛇がとぐろを巻いているようです。



「糸を均し、世界の模様を織っていくための営みだ」
ひとつの声は賛美しました。
その姿は見当たりません。白い人影と同じような位置から、声だけが穏やかに響きます。
「しかし今年の王宮は勝手が違うようだね」
ひとつの声はどこか愉快そうに言います。
「模様がところどころで混ざってしまっている―――ひどく不安定な夜だ。
 こんな中で澱のピークを迎えてしまったら……」
柔らかな悪意の滲んだ声で言います。
「普段は世界の中に隠れて見えないものが、出てくるやも知れぬ」

*

世界の広さに比べれば狭い狭いお城の中に、
今晩は三つも道が開いていました。

「私とイータとシータと、手分けして兄さんを探すことにしたんだけど」
壁抜けの娘は三つ子でした。旅人さんと少女に向かって長女が説明します。
「ええと……なんか僕らお尋ね者になってるみたいなんだよね」
旅人さんが言いました。
「お尋ね者?」
「なんか模様がどうとか、織物がどうとか言ってた」
「別に何もしてないわよ私」
なぜ人々が自分たちのことを探しているのかさっぱりわからない異邦人たちは首をひねります。
とりあえず妹たちを迎えに行こうかと考えたところで、
旅人さんは腕をぐいぐいと引っ張ってくる少女に気付きました。
「どうしたんだい?」
旅人さんが訪ねると、少女は表情を強張らせてある方向を見ています。
同じ方向を見て、旅人さんはこれまで道で見たことも無い事が起こっていることに気付きました。

柔らかい光と色で構成されていた空間の一点が、
墨で染めたように真っ黒になっているのに。
そしてその黒い色が、どんどん周りを侵食し始めていることに。



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