NOVEL

荒野の話 05

時間が流れている、ということを彼は知っていました。
彼はずっとこの明るいところにいましたし、だいたいずっと同じことをしてきましたから、見た目には何も変わっていなくとも、色々なことが変化していることに気付いていました。
同じように内と外を出入りして、報告する相手の無い観測を続けていても、
今はもう一人ではありませんでしたし、そのことを知っていました。

世界が模様で出来ているのを彼は知っていましたが、
そこに意味を見出したのは初めてでした。
彼女と一つの模様の上で繋がっていることを大事なことに感じましたし、
自分が話しかけたり触れたりすると、彼女が喜ぶのが嬉しいと思いました。
嬉しそうにしていて欲しいと思いました。
あまり上手く身体が動かなくなっていっても、それを口に出すことはありませんでした。

だから彼女が彼の身体の不調について聞いたのは、
床の上に崩れた彼に駆け寄って、支え起こしたときでした。
彼の身体はひどく硬くなっており、口を開くのもやっとという有様でした。

「どうしてなの」
そう彼女は言いました。
「決まりを外れたから?」
泣きも叫びもしませんが、大きな目を見開いた顔は、心なしかいつもより青ざめています。

彼はそんな顔をさせることは本意ではなかったので、
「時期が来ただけだ」
と抑揚の無い声で言いました。
彼女は彼の言うことに納得はしませんでしたが、ただ頷きました。
彼の手を握ってもそれは鉄の塊のように動かず、形も変えず、ただ彼女の手を冷たくするだけです。
彼女が硬い身体を抱きしめると、彼はほんの少し目を細めるようにしました。

「お前はきっと知らせる為にきてくれたんだ」
彼の不思議な言葉に彼女は顔を上げました。
「知らせる?」
「観測の終わりを…… 報告するものがいない時点で、終わらせるべきだったのを……ずっと続けていたから」
「そんなこと」
彼女が僅かに眉を顰めると、彼は眼を閉じて言います。
「あるいは褒美かもしれない。
観測の終わりに、与えられたものだ」

「それだったら」
どこか満足げに見える彼の顔を見つめながら、彼女は声を震わせました。
「私はあなたがいなくなったらどうしたら良いの」

彼は口を開きました。
うっすら微笑んだようにも見えました。
けれど声が出る前に、ふつりと目も唇も閉ざされて、
もう少しも動かないものになってしまいました。

それでも彼女はどうしてか、ひどく彼の言いたかったことが理解できたので、
暫く呆然としたまま彼の身体を抱きしめていました。
彼女はずっと歩いていて、悲しみも何もかも置き忘れてきてしまったようで―――
泣く事はおろか悲しむことも上手くできずに、ずっとずっとひたすら彼の身体を抱えていました。

彼は外へ出ろというのです。
でも外へ出てどうしようというのでしょうか。彼のように外にいられないわけではなく、
彼女は特に外へ出たいとも思っていませんでしたし、
彼の身体をここへ置いていくのも良いこととは思えませんでした。

彼女は困って荒野へ彷徨い出ました。
月が出ているのに気付きました。
月の下で二人で座ったことを思い出しました。
だから同じようにそこに座ってみました。
しかし何も起こらず、彼女の心はざわざわしたままです。

困り果てた彼女は何かを探すように周りを見渡しますが、
荒野には何もいないのです。
疲れて視線を足元へ落とし、彼のところへ戻ろうと一歩踏み出したとき。

俯くようにして月の光に照らされている、白い花が彼女の眼に映りました。

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