NOVEL

4.


ずずん、という音と共に建物が揺れた。

「今のは?」

驚くハインを横目にサエは歩を早めた。角を曲がった所にある窓から覗くと、物が焼けるような匂いが鼻を付く。立ち上った煙と、ごっそりと抉り取られた北の棟が目に入った。
北の棟。
あそこは確か“たまご”を保管している所だ。

そして、その上に会議室。
確か今の時間は、お偉い方が集まって茫洋とした議論を交わしている時間だった。
長い間ハインを理不尽に押さえつけてきた彼らが、瓦礫や鉄材諸共に崩れ落ちていく。明るい日差しには不釣合いな光景が、目の前に広がっていた。
喜びも無く、ある意味で無感動に眺めることが出来るのを不思議に感じた。
「…あれが大変なこと?」
サエが頷く。少しだけ眉を顰め、「間に合わなかったようですね」と言った。
「爆弾か」
「いえ…」
説明の仕方を選んでいるような様子だった。と、そこで、窓の外から悲鳴が上がった。

「今度は何…」

再び窓に向けられたハインの目に、奇妙なものが飛び込んできた。

子どもだった。

年の頃は4,5歳といったところであろうか、遠くて顔立ちは良く分からない。茶色い髪に、“たまご”に似た薄い紫色の服を着ていた。
何が奇妙かというと、子どもの位置である。

鉄骨が剥き出しになった建物の残骸の、その横に、浮いていた。
足場は無い。どこにも立たずに、それでもふらつくことも無く移動していく。服はその移動にあわせ変形しているようにも見えた。
「なんだあれは」
見ている間に、子どもは軽く手を上げ、ふい、と振った。
瞬間、その方向にあった壁が吹き飛ぶ。
吹き飛んだ壁に興味があったわけでもないらしく、きょろきょろと首を回しながら空中を動きまわる。

「…あれは、あなた方が“たまご”と呼んだもの…2015といいます」
隣に来て外を見ていたサエが言った。
「私が主の命令で造った、兵器です」

彼女は困ったように続ける。
「自立した破壊力の高い兵器を、人型で御所望だったので、古今東西色々な資料を引っ張り出して組み合わせて、あの子が生まれました。ただ自立しすぎて」

「こちらの制御が利かない、ということ」
「そうです…」

生き物としては完璧だと思うんですけど、と彼女は言った。
制御のことも考えてはいたのですが、と溜息交じりに呟く。夢中でやっているうちに気付いたら、こういう風に完成していたのです。
どんなトランス状態だよ、とハインは思ったが、突込みを入れている場合ではない。
会話を交わしている間にも、小さな兵器が芝を焼いてみたり建造物を削ってみたりと好き勝手にやっている。


「母親の力とかでなんとかならない?」

「私はあまり好かれていないようでして…主のご友人の方に一番懐いているのですが、折り悪くその方は敵方に監禁されているところで」
聞き慣れない言葉に軽く眩暈がしそうだった。

唐突に現れて研究所の上層部を破壊し、今また新しい被害をもたらそうとしている子ども。表情までは見えないが、興奮している様子も無く、かといって機械のよう、というほどの動揺の無さも感じられない。

懐いている人間がいるということは、それなりのコミュニケーションをとることは出来るのだろう。もしも話をすることが出来たなら、破壊を食い止めることも出来るかもしれない。
けれど、自分は止めたいと思うだろうか。
ここが文字通りの消し炭になってしまっても、それはそれで良いのではないか。
「如何しましょう?」
サエが思案顔で子どもを見ている。

そこで、ふと気付くことがあった。

「…2015、は何の数字?」
「検体です」
本当はその前にアポカリプスが付くのですが、その名前を付けた主ぐらいしか呼びませんね、とサエは答えた。
「懐いていた人、というのは何て呼んでた?」
「…コミュニケーションをとるつもりですか」

こちらの意図する所が掴めたらしく、サエは目を丸くする。

「名前を呼ぶのは会話の第一歩だしそれに…2015では向こうには認識しづらいと思うよ。」
「その人は、あれをアポちゃんと呼んでいました」

捻りも何も無い。
けれど、渾名としては十分だ。何度も呼ぶために短縮した名前。おそらく2015にとっては、可愛がられた記憶が付随した名前だろう。

「呼んでみたら?」
「…」

サエは躊躇うようにじっと子どもを見つめていたが、暫くするとハインの方に目を向けた。

「以前も、こうでしたね」
「え?」
「あの時は、言ってみたら、と言ったのです。貴方が」
「10年前のことか」

サエは頷く。

「手に負えない事態があって、けれど出来るかもしれないことがあって…そこで貴方が促してくれたのです―――すぐ傍にいながら。だから、そう言って貰えると、安心します」
にっこりと、ありがとう、と言うと、彼女は窓から身を乗り出した。

「降りていらっしゃい、アポちゃん―――迎えに来ましたよ」


*


あの時もハインは、自分がどこにいるのか良く分からなかった。

留学したのも、大学での挫折が原因だった。幼い頃からずっと、何か目に見えて世界を変えるようなものを生み出したかったのに、そんな力は自分にはないと感じた。
そして彼女と出会った―――もとい、事件に巻き込まれた。

言葉や行動の面で彼女を助けながら、事件を解決に導いたりもして、やっと自分が何かを出来ると思ったのだ。まわりに振り回されず、自分のことを見ることが出来た。

そんないきなり目に見える大きなものでなくても、自分が出来ることを信じて少しずつ進んで行こうと思ったのだ。

今の台詞から察するに、サエも同じようなことを感じたのかもしれない。
そしてまた今、それを思い出している。
状況も自分自身も随分変わったのに、
まるであの瞬間がもう一度訪れたかのように、力を感じられるのが嬉しかった。

*

サエの手の中には、大きなたまごがすっぽりと納まっていた。名を呼ばれて、少し戸惑うような風を見せながらも降りてきた子ども。
サエはあまり好かれていない、と言っていたが、それでも子どもは彼女を見て少し安心したような表情を浮かべていた。
サエが抱きかかえると、ふわふわとした気体に包まれて、たまごに戻ってしまった。
ハインが覗き込むと、彼女は撫でてみますか、とたまごを差し出した。たまごはとても暖かかった。

「貴方のおかげで戻ってきました」
「大したことはしてないんだけどね…」

何かになれたのなら、それは嬉しいことだ。方向性は違っていても。

サエがどこかに連絡を取っている間、眺めていると人々が外へ出てくるのが見える。破壊音が止み静かになった所で、様子を見に来たらしい。
ちょろちょろと人が蠢く地面に、丸い影が落ちた。
二人は屋上へ向かった。

*

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