story

黒い樹の器と職人の話

職人は何でも作る男でした。
まだ若い、普段はぼんやりしたような男でしたが、ノミを持つと別人のようになり、見事な彫刻や細工物を作り出します。
彼の手によって生み出される色々のものは美しいだけでなく、
素材や形によるもの以上の、ある効果を持つと評判でした。
例えばある櫛を使うと気分が落ち込まなくなるとか、刃物がやけに言うことを聞いてくれるとか。
ただ彼自身は名声や何かそういった評価には余り興味が無い様子で、
なんとなく自分の家で何か作り続けているのがその日常でした。

しかしある日、彼のところに持ち込まれたものは、
彼のそんな姿勢とは全く関係の無いところからやってきた、色々な事情をはらんだ頼みごとでした。



「器を作っていただきたい」
と使者の男は言いました。
「はあ」
と職人は気の抜けたような返事をしました。

使者の男は近頃職人が住んでいる村の側へやって来た、王さまの御子の家来です。
すでにこの辺りの装束に身を包んで、土地に溶け込もうとしている風が感じられますが、
それでも武人の持つ一種の空気に、職人は大変大人しく話を聞いていました。

御子さまは、独立の意味でこの場所に移ってきたのでした。お嫁さんを貰って、一人前になったからです。
しかし、お嫁さんの身体の具合が思わしくありません。
ご病気なのですか、と職人が尋ねると、使者は首を振りました。
「奥様は御身体に対して、とても強い力を持っておられるのです」

御子さまの花嫁は不思議な力を持っており、
姿を変えたり霧を呼び出したりといった術を使えるようですが、
王都で大きな術を行った際に大きすぎる力が目覚めてしまい、自らの身体を蝕むようになってしまったようなのです。

困った人々がどうにかならないかと占い師に助けを求めると、占い師は言いました。
「東の土地に、大きな美しい花の咲く樹があります。
とても黒くて硬い幹をした古い古い樹です。
この樹の幹でならば、力の器が作れるでしょう」

つまりは、黒い樹から作った器に力を流し入れ、
所持者である花嫁の身体への負担を軽減させようと言う話のようです。
「ということで我らのところへ来ていただきたく」
使者は話を終えると、強引に職人を引っ張っていこうとしました。
「まだお話を受けるとは……」
職人が恐る恐る言うと、使者は宥めるように、
「まあまあそういわずに、この辺りの者は、あなたが良いと皆口をそろえて言うのですよ」
と言う間にもう職人のことを馬車の中に積み込んでいました。
権力者の側の人間にしては態度が丁寧である、と思っていた職人は、態度だけで実力行使なんだな、と認識を書き換えることにしました。


*

大きな大きな社の囲いの中に、職人は初めて入りました。
いつも遠くからなんとなく眺めることはあっても、中に入るなど考えても見なかった社。
王さまの御子と花嫁が移ってきたときに皆で作り上げた、大きな大きな住まいです。
職人は建築には参加しませんでしたが、飾り物を幾つか提供していました。

大きな門を抜けて中に入っていくと、様々な色形をした服の、色々の人々が行きかっています。
王さまの息子が二人だけにはもったいないと言って、
社の中に人々を呼び入れたのだと聞きました。
小さな町のようになった大広間では、異国めいた香りや、珍しい織物などがかかっています。

「御子さまに会うのかい」
職人が尋ねると、使者の男は首を振りました。
「御子さまは事の次第の報告に、王都へ呼び出されたところなのです。
すぐ戻るとおっしゃられたが、二三日中には無理かと」
使者の男はそう言いながら、するすると人の合間を抜けていきます。
人ごみにあまり慣れていない職人は周りにどかどかとぶつかって、ひたすら謝ってばかりいました。

「うーん」
職人はぽつりと言いました。
「目まぐるしいけれど綺麗なところだね。水紋のようだ」
「?」
その形容が使者にはよく理解できなかったようでしたが、
気に入りましたか、と彼は職人に尋ねました。
職人が頷くと、使者も頷き返しました。
そして言いました。

「この先にあるものも、あなたはきっと気に入られると思う」

*

使者の言葉に首をかしげた職人でしたが、
天井の下をひたすら歩いて社を抜けたとき、その言葉の意味を理解しました。

柔らかい光がいっぱいに満ちているような錯覚を覚える、
そこは社の庭でした。
潤いを含んだ緑と、どこかで零れる水の音。かといってじめじめしているわけでもなく、春の初めの空気が閉じ込められたようなみずみずしさが辺りを覆っていました。
そしてその中心に立っているのは、なんともいえぬ魅力を持った一本の樹でした。

庭を覆うように伸ばされた枝。それをまた覆うようにびっしりと付いた薄紅色の花。
はらはらと次から次へと散ってこちらの方へ舞ってきますが、
地面には枯れた花弁は見当たりません。
近くで見ると白に近い色なのがわかりますが、
その色は他のどんな色も孕んでいるような豊かさを感じさせるのでした。



「すごい」
職人は思わず言葉を漏らしました。
不思議なことに、この辺りに―――といっても馬で走ってこなければなかなか辿り着けない距離ではありますが―――生まれたときから住んでいた職人も、この樹のことを見たことがありませんでした。
こんな見事な樹ならば、噂になっても良さそうなものなのに。
「何時見ても美しいものです」
使者の男も言いました。
「こんな見事な花を咲かせる樹は、王都でも見たことがありません。
ここは良い土地だ」
「本当にすごいね」
職人は言いながらも、花とかそんなものではない、と感じました。
この樹自体に引き付けるものがあるようなのです。

「それで、この樹が何なんだい」
少しして、我に返った職人が尋ねると、
実はずっと前から我に返っていたらしい使者の男はまた彼を引っ張りました。
どんどん樹へ近づいていき、職人が大きな存在からの圧迫感すら感じてきた頃、
使者の男はゆっくりと片手を上げ、樹の幹を指差しました。

「こちらがあなたの造る器の材料、闇の樹の黒い幹です」

大きな美しい花の咲く樹。
その幹は、何もかも飲み込むような真っ黒い色をしていました。

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