story

黒い樹の器と職人の話 * 2

暫く呆然と眺めたあと、職人は使者の男に促され、樹の幹を検分してみました。
触った感じは硬くて滑らか、あまり普段見知った木肌の感触には似ていません。
かといって鉄や石に似ているのかというと、それにしてはちょっと暖かすぎる感じがします。

「これを削るのかい」
「削るのです、あなたが」
職人の問いに、使者の男は言いました。
職人は使えそうな枝が無いか見上げて探しましたが、あまりに見事に花に覆われていて、なんだかよく見えません。
そこで高いはしごを用意して貰ったのですが、
「え、うわあ、なにこれ……」
上っていった職人に向かって散ってくる花弁の数が急に増え、
危うく転げ落ちそうになりました。
何度挑戦しても同じことが起こったので、職人は仕方なく幹の届くところに少し刃を入れてみようと考えました。
しかしどんなに硬い刃物を使っても、樹の幹には傷一つ付かないのでした。

あまり樹を傷つけたくないと思っていた職人はほっとしたり困ったりしていましたが、
「なんだか多分僕には出来ないような気がするんだ」
と使者に訴えました。
使者はそれまで無表情に職人のことを見ていましたが、職人の言葉に頷きました。
「そうかもしれない。今のあなたには出来ないかもしれません」
職人は樹を見上げました。
何度か吹き飛ばされそうになったものの、やっぱりしみじみ眺めるとため息が出るような樹です。

「お役に立てなくて申し訳ないけど……」
職人が言うと、使者の男は目を丸くして、それからあわてて職人を引き止めました。
「いやいや、あなたはこれから役に立つのです、そう占いに出たんですから!」
「そうかなあ」
「そうですとも」
使者の男はそう言って、大げさに首を振りました。
「まだ何かが足りないだけなのです。待ちましょう。
社の中にあなたの部屋を用意しましたからね、そちらに暫く泊まっていってください」


*

夜でした。
職人は結局黒い樹の下に座っていました。
用意してもらった部屋はお客様用だったので、職人の身体にはあまり合わなかったのです。
暫くはごろごろのんびりしていましたが、なんとなく感じる居心地の悪さに、結局外へ出てきてしまいました。

「お前は特別な樹なんだね」
職人はそう言って樹の肌を撫でてみます。
普段は材料を眺めたり触ったりしていれば、
何をどう造れば良いかがなんとなく浮かんでくる職人なのですが、
黒い樹に関してはその感覚が全く現れてこないのでした。



「やっぱり、占われたのは僕ではない気がするな」
そんな風にひとりごちた時、

「……さっきからぶつぶつと五月蝿いぞ」

強い口調でかけられた声に職人が振り向くと、
そこには、引きずるような長い衣を纏った人影が蹲っていました。
女のようでした。

*

「おどき」

女は言いました。
彼女が黒い樹の幹に寄りかかるようにしながら立ち上がると、
その身に纏っている服がさらさらと音を立てました。
鮮やかな色の糸で織られた布を何枚も重ね、金銀の糸で刺繍を施してあるその衣装はとても豪華であり、
都からやって来た筈の先程の使者の男よりも、よっぽど高い身分の人に見えました。
そんな女が夜中に一人で土の上に直に立っているのも何だか不思議なことでしたが、
それよりも職人が驚いたのは、つまり、彼女の顔が殆どすっぽりと布に覆われて、全く見えないということでした。

「そこは妾の定位置だ」
顔の見えない女は、威厳ある声を響かせます。
「定位置?」
目を白黒させながら職人が尋ね返すと、女は頷きます。
「妾のために場所を空けよ、まったく不躾な男だ。
 大体、夜のこの樹にうかうかと近寄るものではないぞ」



随分なことを言いながら、女は後ずさった職人の方へと歩いてこようとしました。
しかし衣装が重いらしく、見るからに一生懸命といった様子です。
得体の知れない相手でしたが、どうも恐ろしいものではなさそうです。少し安心した職人は、彼女と交流を図ってみることにしました。

「君、女の子だよね。社の中に住んでいるの?」
「君とか言うな。あと、女の子ではない。社の中に住んでいる」
いきなり怒られてしまいました。しかし律儀に全部答えています。
「ごめんね」
「謝ったって許しはしない」
女は不機嫌そうに一言答えると、職人がいた場所にまた座り込みました。
そしてそのまま俯いて、何も喋らなくなります。
ところが職人が仕方なく少し離れた場所へずれ、また樹を眺め始めると、
「夜にこんな所に来るなと言っただろう。早く立ち去るが良い」
と顔を上げました。

「夜は危ないのか」
職人が不思議に思って言うと、
「命を吸われるぞ」
女は冷たい声で答えました。
「君はそこに座ってるじゃないか」
「君と言うなと言った……妾は特別だ。この樹と通じることが出来る」
特別な彼女は、先ほど職人がやったように、黒い樹の肌を撫でました。
樹の色のせいか、袖から覗く指が白く細く見えます。

命を吸われる。
そんな物騒な言葉について追及したくなった職人でしたが、
何故か急にとても眠たくなってきました。
仕方が無いので、最後に一言女に向かって声をかけます。
「私は職人だ。王さまの息子に呼ばれてここに来た」
「職人か」
女はぽつりと言いました。まだちゃんと聞いているようなので、職人は尋ねます。
「明日の晩またここに来たら、貴女はまたいるか?」
女はちょっと黙って、探るようにこっちを見ているようでしたが、
「いると思う」
と一言、返事をしました。

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