審査待ち


青年はゆったりと走らせていた馬を止めた。

彼は少し遠い狩り場に部下たちと出かけて、一泊して帰ってきたところだった。
狩りは王族の嗜みだ、という。青年はもはや王族というには血が離れすぎているが、
彼の先祖である王さまの息子がこの土地にやって来た時から、青年の家の者は好んで狩りを行う。

そんな習慣のために少しだけ離れた彼の土地―――ゆくゆくは長となって治めるべき綾目の里は、昨日出てきたときと少しばかり様子が違っていた。

「如何しましたか若彦さま」
父親と同じ名前の彼を、周りの者は皆ワカヒコと呼ぶ。
青年につられて不思議そうに馬を止める部下たちに、彼は同じように不思議そうに言った。
「門の外の宿泊所に誰かいるね」

綾目の里には旅の人間や移住を求める人々が多く訪れるので、
話を聞くまでに一時的に滞在してもらうための宿泊所が用意してあった。
そこに人がいるのは珍しいことではない。部下たちの表情がなおも怪訝そうなのを見て、青年は一瞬考えてか言う。
「ちょっと見てくるから、先帰ってて。
 宿泊所の人たちについて聞いておいてくれると嬉しい」


多分今の時点で違和感を感じないようでは、説明しても分かってもらえないだろうな、と青年は思った。
感覚の鋭い綾目の人々とはいえ、自分と同じくらいの力の持ち主がそれほど沢山はいないということも青年はわかっていた。それを引き連れてくるのも面倒くさいので、ひとりで確かめに来たのだ。
宿泊所にいる人々は、数十人。そのなかで大きな力を持つのは三人ほど。
ただしその三人が、どうもその力を隠している。
青年の感覚でも隠している、ということしか分らない。実際どの程度なのかはぼんやりと靄に包まれたように、彼の感知を拒んでいる。
おかしいのはそこだ。力を、隠している。

おそらく宿泊所にいる集団は里の中に入るための審査待ち。里の中では力が強いほど尊ばれる傾向がある。力を隠してもメリットは少ないはずだ。
それなのになぜそんなことをするのだろう。
なにか後ろめたいことでもあるのではないだろうか。

里に入ってくる者たちの中には腹に一物ある者たちも多い。
受け入れは寛大に行うというのが現里長である青年の父親の方針だが、危険分子はちゃんと把握しておく必要があるのだ。
別に即排除しようというわけではない。ただ何かあった時のため。
里と家を守るというのは青年の務めであったし、小さい頃から彼が自身に課している約束事だった。

*

青年は気配を消して、集団が近くで見られる場所へと向かう。
実際里に入るにあたっての審査の際にも使われる場所である。そこにいる人の気配も、力の気配も隠してくれる。
大きな力を持つ三人はひと固まりで一つの小屋にいるようなので、
彼はその一番近くの観察所へと身を潜めた。

集団は大体が男性で、女性が十人ほど。
とても白い肌をした人が多かったが、服装を見ると里より少し南から来たのではないかと思われた。
「出てこないかな」
あまり長く小屋を見つめているわけにもいかない。
青年は迷った末、隠れるのを半ばあきらめることにした。面倒くさくなったのだ。
少し場所をずらし、ぎりぎり小屋の屋根が見える辺りに立つ。
そして彼は弓を引き絞ると、目当ての小屋の屋根の上に向かって矢を放った。


矢を放った直後急いで最初の場所へ戻ると、小屋の中から人が出てきた。
最初に現れたのは毛皮を手にした背の高い男だった。もう春も終わりだというのに暑くはないのだろうか。
屋根に矢が一本突き刺さっているのを見て、小屋の中にいる誰かに声をかけている。
周りをきょろきょろと見て、青年が矢を放った位置へと歩いて行った。
やっぱり見た目ほど小さい力ではないな、と青年は思う。少なくとも持っている力を上手に隠せるくらいには大きな力を持った男だ。
男は辺りを窺った後、開いたままの小屋の入口に向かって何事か叫んだ。

すると、もう一人が出てきた。
青年は、ほんの少しだけ目を見開いた。
大物はこっちだな、と思った。大きな力が隠されているのが分かる。隠されているから分らないはずなのだが、青年は先に現れた毛皮の男とは違う何かを、新しく現れた人間に対して感じ取っていた。
色素の薄い男だった。白い肌に銀色というのかなんというのか、とにかく白っぽい色の髪をしている。
顔立ちは女性のように優しかったが、あまり近づきたくないな、と青年は思った。氷のような感じだ。
白い男はちょっと微笑んだようだった。そして毛皮の男に声をかけ、黙って―――青年が隠れている方を指差した。

まずい。

青年は視線の先は変えないまま、音を立てずに動き出した。
青年からは見えないが、おそらく毛皮の男は彼の方へと歩いてきている。
ふい、と指で空を二、三回切ってから、姿勢を低くしてあっという間にその場を離れる。
脱兎のごとく、という言葉を思い出してちょっと笑って、それから彼だけが知る抜け道の中へと身を滑らせた。

あの二人は危険だな、と息を落ち着かせながら青年は思った。
毛皮の男の方はそうでもない。けれどあとから出てきた白っぽい男の方はなんだか、人間からかけ離れていると思った。昔人間の形をした白蛇に会ったことがあったが、あの感じに似ている。
ともかく、彼らを入れてはいけない、と思った。
「父上に、言わなければ」
外の人間に寛容な父親が自分の意見を少しでも考慮してくれるようにと祈りながら、青年は未だ早足のまま自分の屋敷へと向かって歩いて行った。
「あ、そうだ」
少し困ったように首を傾げて。

「三人目を見るのを忘れた」



***

「燃えてしまったね」
青年の放った矢は、彼のまじないで炎に包まれ、屋根の部分は焦がすこともなく燃え尽きた。
白い男は残った煙を眺めながら、感慨深げに呟く。
「すごいな、ちゃんとまじないを使える人間がこの辺にはいるんだよ、ほら」
彼がどこか嬉しそうな声を上げるのを見て、小屋の中からもう一人出てくる。
白い男によく似た顔立ちの、若い娘だった。
「あっちから見てたじゃない、その矢の持ち主」
娘は静かに、首を傾げて言った。
「感動したんなら、捕まえて話を聞けばよかったのに」
白い男は彼女の言葉に頷いて、にっこりと笑った。
「ほんとだね」

どんな人かな、と白い男は言って、傍らの娘に尋ねる。
「なにか感じた?」
娘は少し考えるようにしていたが、男の顔を見上げてためらいがちに言った。
「少しだけど……あなたに、似た感じがしたかも」
白い男はわずかに眉を寄せる。
「なにそれ。聞き捨てならないな」
「私にも似てるってことよ」
「同族ってこと?」
「違うよ」
どうも同じように感じていないらしい相手にどう説明しようかと迷っているようだった娘は、暫く考えていたが、やがて顔をあげて答えた。

「古い生き物のにおいがしたわ」

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