NOVEL

庭の話 a

少年は薔薇の香りが好きでも嫌いでもありませんでした。
そういうことは特に重要だと思っていませんでした。
けれど彼が彼の部屋へ向かう途中には薔薇がいつもいっぱいに咲いている庭があるのです。

*

「さて、なぜ坊がそんなことを聞くのかしら」
少年の目の前に座った女はそんな風に言って首を傾げました。
彼女は庭の主であり、派手な顔立ちに艶やかな笑みを浮かべていました。ごてごてとはしていませんが質の良さそうな柔らかい生地の服を着て、庭の真ん中の椅子にひとりで腰掛けていました。
少年は彼女の座っているところ以外からは、ちょうど死角になるような木の陰に、隠れるように立っていました。
別に疚しいことがある訳ではないのですが、それでもわざわざ火種を撒く様な真似はしないのが彼の流儀でした。

「単なる好奇心です」
「信用ならないわ」
少年が答えても、彼女は彼を伺うように眺めて笑うだけです。
「誰の差し金か、当ててあげるから。坊の上司を辿っていくと誰になるのかな?月読か、あれと親しい近衛かな」
「個人的な野次馬根性ですよ」
少年が軽く笑って返すと、女は目を細めます。

「おやおや、若さかしら。坊はそんなことで恐ろしい問いを口にしてしまうのだね―――私の、王妃である私と陛下との子が王族かどうかなんて、聞くまでもないことでしょうに?」
凄んでいるような喜んでいるようなその口調。
赤い唇が美しく弧を描いています。
少年は彼女のこういう表情を見ると、やっぱり彼女は美しい人なのだな、と思います。彼女を連れ帰った王様が、咲き誇る花のようだといったのも判る気がします。
決して優しい花ではないと思いますが。
少年は暫く彼女と睨み合いを続けた後、息を吐いてまた笑いました。

「噂があるので聞いてみただけです。
別に私はそれほど気になっていませんし、騒がれているほどには皆問題だと思ってはいませんよ」
殿下が王子であることは、既に認められていることですからね、と少年は言いました。

「そうか」
ぽつりと女は言いました。
「皆、気にしていないのね」
「まあ、誰が気にしても、王様が気にしない以上は意味の無いことです」
少年は少しばかり楽しそうに答えます。王様の力を確信しているようでした。

「陛下も気にしてらっしゃらないのだね……」
庭の主は言いました。
「多分王子のことなどどうでも良いのだろうね」

彼女のほんの少し憂いを含んだ声に、少年は自分がどうも間違った方向に話を持ってきてしまったことに気付きました。慌てて、しかしなんでもないことを言うように装いながら言葉を足します。
「そういうことではないでしょう、一人息子であることに変わりはないということです」
女は黙ったままですが、眼だけちらりと少年の方へ向けました。
そしておかしそうにくすりと笑いました。

「陛下はそのときに目に入ったものにしか興味がないのだよ。
そしてすぐに他の事は頭から零れ落ちてしまうの」
庭の主で王妃の彼女はそう言って、溢れるほど咲いている薔薇の花を眺めました。
「きっと私を娶ったことももう忘れてしまっているだろうね」
それから彼女はもう少年の方へ顔を向けませんでした。


少年は薔薇も薔薇の香りも好きでも嫌いでもなく、そんなことに価値があるとは思いませんでしたが、
彼が彼の部屋へ向かう途中には大きな庭があって、
そこにはとても美しい人がいたので―――
それは彼にとって少しだけ重要なことでした。
彼女は溌剌としていても萎れていても美しくて、それは価値のあるもののように感じられましたが、
なぜだか少年の胸は少しばかり、痛んだりするのでした。

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