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黒い樹の器と職人の話 * 19

括媛はまどろみの中にいました。
小さい頃の記憶や、大巫女になってからの修行、社での思い出など、色々な出来事が頭の中に浮かんでは消えていきます。
そして社をでて、面紗を失ってからの村での暮らし。
毎日少しずつ少しずつ体が弱っていくのは感じていましたが、
それでも普通の娘のように、大巫女に縛られずに居られるのはとても心地よかったのです。
本当に出来の悪い大巫女だったのだ、と少女は思いました。
何も言わずに放り出してしまった大巫女の立場を思い出し、彼女の心はひどく痛みました。

「括媛」

呼ばれた名前に少女が目を開けると、職人が彼女の横に座っていました。
「カガトミ」
ずっとずっと眠っていたので、職人の顔を見るのも久しぶりだと彼女は思います。
彼はまた夜通し働いた後のような疲れた顔をしていましたが、声の中には穏やかな力強さのようなものがありました。
「君が寝ている間に、社に器を届けてきたよ」
職人は言いました。
「器は成功だった。
まだ立ち上がったりは出来ないようだったけれど、お嫁さんは表情がすごく軽くなったって」
「そうか……」
括媛は安心して、柔らかく微笑みを浮かべました。


職人は括媛のそんな様子を眺めていましたが、やはり彼女の具合が良くなった風はありませんでした。
倒れる前より口数も少なくなり、動かないので職人の目に入る回数も減ります。
それだけでも少々寂しく感じるのに、彼女が居なくなったらどうなるか、ちょっと見当がつきません。
それでも職人は口を開きました。

「括」
「……どうした……」
改めて名を呼ばれ不思議そうに顔を上げた少女は、
自分の顔に何かが被せられてぎょっとしました。

「なっ……何―――?」
被せられたものと一緒に職人の手で頭を固定されて、何が起こったのかと身を竦めます。
しかしすぐに自分の中の異変に気付き、そろそろと手を顔へやりました。

「どうだろう」
頭からそっと手を離して、職人は目を丸くしている彼女に尋ねます。
「カガトミ」
少女の喉から戸惑ったような声が漏れました。
「これは―――……」
「黒い樹で作った器だよ」
職人は微笑んで言います。
「大丈夫?成功したかな。君のものだから、君に確かめてみないと分からないんだけど」

「どうやって……」
括媛は顔に被せられたそれを撫でながら、ぼんやりと言いました。
それは滑らかに削られた小さな面で、目元辺りを中心とした顔半分を隠すようなつくりになっていました。
素材は黒い樹の欠片でしたが、柔らかい白い色に塗られ、鮮やかな赤でまじないの模様が描かれていました。
手にしているだけで、身体にのしかかっていた重みがなくなっていくのを感じ、少女はもう一度職人に尋ねました。
「どうやって作ったのだ」
「何だか言いづらいんだけど」
職人は申し訳なさそうに言いました。

「一人でやったら出来た」
「は?」

なんだか黒い指輪を作っていた頃から悩んでいたのが茶番のようで、
職人としては説明しにくい話だったですが、仕方がないのできょとんとしている少女に説明をし始めました。
といっても数秒前に言ったそのままなのですが。

「君に生きていて欲しいと思って、傍に居て欲しいと思って……それだけ思って作ったら、今度は黒い樹の欠片に引き込まれなかったんだ」

つまりそれは、念の強さが通じたからです。
「そんなことを僕が出来たって、信じられない?」
落ち着いて意識を向けてみると、少女には職人が何れ程の心を籠めてくれたのか、
面を通して強く強く感じることが出来ました。
それを感じると、止めようもなく涙が溢れて来るのでした。

「カガトミ」
職人は少女の小さな声に耳を寄せ、少女は職人の方へ身を寄せました。
「ありがとう」
職人は微笑んで、こちらこそ、と言いました。



「でも、何故面なのだ」
暫くして落ち着くと、括媛は不思議そうに尋ねました。
問われた職人は彼女を一瞬眺めた後、真剣な顔になりました。

「この面を面紗の代わりにすれば良い」
職人は言います。
「古い力を扱う人々は、君の事を待ってる。
君だって本当はこのままにはしておきたくない筈だ」

職人の言葉に、少女は耳を疑いました。
「カガトミ、彼らが求めているのは大巫女だ」
「違う。大巫女ではなくて、力の指標だ。人に正しい力の使い方を教えてくれる人を求めてるんだ」
職人は社の人々を思い出しながら言います。

「君の力は本物だし、欲望のためだけに乱用しようとか、そういう人間でもない。
これまでの大巫女の教えも踏まえたうえで、
これからは君は君なりに大巫女を作っていけばいいんだ」

少女は面を手に持って、見つめたまま黙り込んで居ました。
職人が何も言わずに待っていると、再び視線を上げて、ぽつりと言いました。
「私に出来るだろうか」
「出来るよ」
職人は言いました。
「駄目そうだったら、誰かに助けを求めて良い。御子さまやお嫁さんと協力したって良い。
必要だったら僕のことも呼んでくれて良い。
やっぱりどうしても駄目だったら、またここに来ても良いよ」
ひとりでやることなんてないんだと職人は言いました。

大巫女だった少女はまた暫く職人を見つめた後、ゆっくりと頷きました。
そして、小さな声で言いました。

「私は、望まれるとおりの大巫女でなければ、生きるのは許されないと思っていた。
でもお前は私を受け入れてくれた」
だから嬉しかったのだ、と少女は言いました。
「ここに居させてくれてありがとう」

職人も頷きました。
括媛がうつむき、彼の胸に額をくっつけるようにしました。
泣いているのかもしれないし、微笑んでいるのかもしれません。
「僕も」
そっと抱えるようにしてみると、彼女は温かくて小さくて、
「君が傍に居てくれて嬉しかった、本当に」
きっと離したらすぐにその感触も消えてしまうのだろうと職人は思いました。

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