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黒い樹の器と職人の話 * 14

その後数日間調べてみたことによると、
黒い樹の欠片は削られても成長するようなのでした。
いくら削ってみてもいつの間にか傷がふさがっており、翌日見れば元通りになっているという不思議なものでした。

「削りだして完成したものは動かないんだけどね」
職人は手に入れてから黒い樹の欠片を眺め続けてきましたが、計り知れない力を持つこの素材は、初めて樹を見たときと寸分違わぬ魅力を持っているのでした。
「とりあえず材料不足は免れそうだな」
括媛はそう言って黒い樹の欠片を撫でました。
「何かわかるかい?」
職人が尋ねると、彼女は首を振ります。
黒い樹と通じたときのようにはいかないようです。

「それでもお前が新しい形を与えようとして向かうときには、少し欠片の雰囲気は和らぐ。
 あとはお前の心持だ」
「僕の?」
少女の言葉に、職人は不思議そうな顔をします。

「使う者の望みも大事だが、黒い樹に接してこの欠片を手に入れたのはお前だ。
この欠片が受け入れているのはお前だけのようだから、
お前の望みは大きな影響を与えると思う」
作るときに望みをこめてやらないと。
括媛はそう言って、ふと視線を戸口の方へ走らせました。

「普通の素材と違って、これ自身の方向性があるということだ。
思いの弱さによってはお前の才能とは関係なく、何の念もこもらなくなってしまう。
上手くいけば他のものとは比べ物にならない筈なのだが……」
「作り手の念の強さも重要ってことだね」
職人は頷いて、傍らに置かれた一本の簪を眺めました。
この間集会所で配った分は、どうやら細工は良いものの、普通の簪だったようです。

「なんとかしないとね……」



職人は黒い樹の欠片に一度集中してしまえば、あとは自分ひとりで作業できるようでした。
なので括媛はその間小さな家を片付けてみたり慣れない炊事をしてみたり、と
有意義に過ごせるように努力していました。
あるいは何かしていないといられないような理由があったのかもしれません。

黒い樹の欠片で作った細工物が少しずつ増えていく家の中、
それがただの細工物なのかそれとも黒い樹の特質を生かした念の籠もりやすい細工物なのか、
調べてみることも必要でした。
少女は水汲みついでに幾つか練習で作ったものものを拾って、
誰かに試してもらおうと持ち出しました。

「最近はこの黒い木材を気に入ってるんだな」
村人の一人はそう言いました。
「御子さまの希望でこの素材を使わなければいけないのです」
括媛はそう言って、櫛や小さな器などを渡していきました。
人々が珍しがって寄ってきます。

「あんた本当に社の中に住んでたんだってなあ」
「あ、ああ……そうです」
名も知らぬ村人に言われて少女は曖昧に頷きます。
どこまで自分のことを話して良いのか分からず、ついついこういう返事になってしまうのでした。
「御子さまに会ったことあるの?
 カガトミは使者の人にしか会ってないって言うじゃない」
「幾度か」
「すごいなあ、社も御子さまも雲の上の人みたいなものだからな」
社の側にある村では社の中との交流が結構あるものの、このくらい離れてしまうとだいぶ心的な距離も開いてしまうようです。
その割には職人はあまり気後れしていないように見えましたが。
「お会いしてみるとそこまで懸離れた方々ではありませんよ」
「いやいや、時計も鏡もちょっと前までは見たこともなかったが、
そういうものは皆社の中からやってきた。やっぱり特別なところだよ」
「はあ」
御子たちは地域に馴染みたいと思っているようなので、そこまで特別視されるのも嬉しくはないだろうなあと思っている少女でしたが、

「だから、カガトミがあんたに失礼してないか心配だよ。
 あいつ、人に興味があんまりないだろう」
「え?」

相手の言葉の意味がよく分からず、彼女はきょとんとして首を傾げました。


*

村の人たちは言いました。
「何言ってるの。別に興味ないわけじゃないでしょ、人当たりは悪くないんだし。
 ただ物を作るほうが好きなだけよ」
「職業病なんだ」
「冷めてるだけじゃないかな」
「のんびりしてるんだよ」

わやわやと騒ぎ立てる彼らの意見をまとめてみたところ、
職人は冷たいわけではないし人の話には乗るけれど、
周りの人々よりも、彼の仕事―――作っていることそのものについての興味のほうが大きいのは、誰が見ても明らかである。
……とそういうような見方をされているようです。
社にいた頃から親切だったような気がするが、と少女は考えました。
そういえば村に来てから、黒い樹のこと以外であまり交流がない気がする。
その黒い樹の件で少女はここにいるのですから、彼女としては違和感を感じていなかったのですが。



村人たちの言うことは、多少の誇張も入っているでしょう。彼らはだいぶお祭りが好きで、興奮していたようでしたから。
問題は職人に、最終的な目的であるはずの人よりも、作ることそのものの方に大きく傾いた姿勢があるらしいということです。
社にいた頃はむしろ、この土地の人たちの役に立ちたいようなことを言っていたと思いましたが。
「あの頃は……」
没頭できるほどの素材が、無かったな。
少女は小さく呟きました。

*

「作れないかもしれない」
寝る間も惜しんで作業を続けていた職人が、そう言ったのは三日後の晩でした。
部屋の隅で例によって細工物を片付けていた括媛がゆっくりと振り向きます。
「どうしてそう思う」
驚きも見せずに尋ねてくる彼女に、職人は黒い樹の欠片を見つめたまま答えました。
「望みが籠められない。
黒い樹の欠片に一度向かうと、他のものに気持ちを向けられなくなるんだ」

黒い樹の言っていたことが分かった気がする、と職人は言いました。
最初から多分そうだったのです。臥せっている御子さまのお嫁さんのことや、この地に迫っている危機について聞かされたときには大変だと思いました。
何とかしたいと思った気持ちは本当だったのですが、しかし、それよりも強く願っていたことが、心の底にあったようなのでした。
黒い樹を最初に見たとき、これは木材ではないと思いました。傷つけてはいけないと。
しかしそれはこの樹を木材として使いたいという望みの裏返しだったのではないでしょうか。
実際に手に入れてみると気付かされずにはいられませんでした。
自分しか扱えないこの素材を使ってものを作りたい、という自分の望みに。
気付けば作業中は素材を扱うことしか頭に無く、殆ど記憶がすっぽり抜けたような感じになっています。

「カガトミ、まだ始めたばかりだ」
少女はそう言いましたが、このままでは出来ないだろうことは職人本人が一番分かります。
少し憔悴したような顔の職人でしたが、少女の方を一瞥すると、ふらりと立ち上がりました。
「どこへ行く?」
少女が心配そうな声で尋ねます。
職人は彼女に向かってほんの少しだけ微笑むと、

「河を見に行ってみる。待ってて」

そう言って、戸口から出て行きました。

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