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黒い樹の器と職人の話 * 9

大巫女の少女は迅速でした。
ぱっと身体を伏せ跪くと、口上を述べ上げ始めました。
「わ、私は大巫女の勤めを果たしております、貴女が仰ったように。
均衡を用いて力を扱う者たちを―――」

敬うような喋り方をしだした少女に職人は目を瞬かせていました。
黒い樹の方も事態が飲み込めないようで、
何故か職人の方へ目配せしてきます。
仕方ないので職人は、小さく蹲っている少女に近寄って、声を掛けました。

「どうしたの」
「!きゃ……」
大巫女は職人を見て小さく悲鳴を上げた後、がばっと身を起こしました。我に返ったようです。
「なんだどういうことなのだ!何故……」
ちらりと黒い樹の方へ目をやります。
居心地悪そうに職人の後に隠れると、大巫女は小さい声で怒鳴るという奇妙な真似をしました。
「黒い樹が先代の大巫女さまの姿をとっているのだ!?」
「あ、そうだ黒い樹だよ。平伏したりするから、気付いてないのかと思った」
「条件反射だばかもの!」
先代にはしおらしかったらしい大巫女の少女は、黒い樹に向かって困ったように一礼しました。
「喰った面紗の中に入っていたものの姿を借りたのだが」
黒い樹はやっぱり無表情なまま言いました。
「評判は良くないようだな」




*

「対価を求められたか」
「黒い樹が求めそうなものを、何か知らないか?」
職人が問うと、大巫女も難しい顔で考え込みました。
二人は隅っこで作戦会議です。
「例えば、昔々黒い樹をまじないに使うときは人を供物にしていたらしい」
「そうなのか。でも、今回はそういうのは欲しくないらしい」
「ふむ……ここ暫くは情報のやり取りしかしていないから」
なかなか無い事態のようで、大巫女の知識の中にも答えが見当たらないようです。
ゆっくりしている場合でもないのですが、動くこともできない二人は、
とりあえず懸命の話し合いを続けました。


黒い樹は小さい者たちがなにやら二人で話し始めたので、それを見ていました。
なにしろ自分の中に人間が複数で入ってくるのは久しぶりです。
もともと感覚が大雑把な黒い樹にはよく彼らの区別もつかないのですが、
内側に居る分外側よりもよく見ることができます。
暇つぶし程度にはなるので、小さいもの同士の交流をじっと眺めていました。

*

「見てるよ」
「うう、やりにくい」
先程の態度から見るに、先代のしつけは大分厳しかったようで、
どうしても萎縮してしまう大巫女の少女でした。

「面紗は取り戻したんだね」
彼女が握り締めている布を見て、職人は言いました。
中に籠もっていた代々の大巫女たちの力や念のようなものは黒い樹に吸収されてしまって、
以前ほどの力は籠もっていないのだということでしたが、、
それでも面紗が目に見えて存在することが人々には必要なのだそうです。

「黒い樹が持っているのは本物ではないんだよね」
同じものが二つあるのは不思議な感じがしましたが、
「あれは黒い樹が作り出したものだ」
そこで大巫女は面紗を被ることを思い出したらしく、
たたんで抱きかかえていたそれをはらりと広げました。
そのとき。

ぽとり。

腕を掲げた彼女の袖から、小さな何かが転がり出ました。
そのまま黒い空間の地面にぶつかると、すうと吸い込まれるように溶けていってしまいます。




「しまった、食べられてしまった」
大巫女が焦った声を出したので、職人も慌てました。
「また何か大事なもの?」
「…………」
大巫女が黙ったまま表情を伺うように見てくるので、
職人は首を傾げました。
そしてそのまま何気なく首を回したところで、黒い樹の姿が無いのに気づきました。

*

「いなくなった!」
「何だと!」
職人と彼の言葉で事態に気づいた大巫女がきょろきょろしだすと、

「どうした」
声がしました。
さっきまでの黒い樹のようではありましたが、どこかまた違った声。
同じように声を響かせながらも姿を消してしまった黒い樹を小さな人間たちは探しましたが、その姿は思いがけない所にありました。
「どうした。話は終わったのか」

黒い空間の、職人と大巫女の頭上に、木でできた小さな鳥が浮かんでいました。
「私も少し疲れ始めた、お前たちに集中するのは難しい」
小鳥―――黒い樹は言いましたが、職人たちは目を丸くするばかりです。
「もう帰るか」
「あ、いやまだです!」
黒い樹の言葉に我に返って、慌てて否定した職人でしたが、
「あれ、どうしたの?」
大巫女に小さな声で尋ねました。
明らかに自分が作った細工物だったからです。

「袖に入れていたのが零れたのだ」
大巫女は顔をしかめて言います。多分表情を決めかねているのでしょう。
「さっきのか」
「そうだ。妾の力が籠もっていたから、美味しそうに見えたのかもしれない」
「なんだ、もっと大変なものかと思った」
「一番綺麗なものを持ってきたのだぞ……」
職人にしてみればその辺の木で何も考えないで作った一羽でしたが、彼女は若干ショックだったようです。
小鳥の姿を眺めている彼女の横で、職人はもう一度黒い樹を説得しようとしました。

「あの―――」
「お前」
しかし職人の言葉は、黒い樹の淡々とした声で遮られました。
「お前はどういうものだ」
「え?」

どういうものだと言われても。人間であることは伝わっていると思うので、どう答えたらいいのかわかりません。
結局、

「職人です」

と、そんな風に答えるしかありませんでした。
「職人とはどういうものか」
黒い樹がまた尋ねるので、職人は説明をしました。
「木などを使って細工物を作っています、あなたが食べた小鳥のような」
するとどうでしょう、意外にも黒い樹はその話に興味を持ったようでした。
樹の鳥が暫く空中をくるくるしていましたが、この小さな細工物のことを、黒い樹も気に入ったようです。

「私の身体をどう使う」
突然掛けられた黒い樹の言葉に、職人は面食らいました。
どんな木材がどのくらい手に入るかも分からないのでまだはっきりとは分かりませんでしたが、
それをいっても黒い樹は理解してくれないかもしれません。
「―――僕が、」
職人は迷っていると、傍らで大巫女がこっそりと囁きました。
「外の世界の具体的なことは黒い樹にはわからない。
お前の心持ちだけ伝えるが良い」

それを聞いた職人は、
「僕は僕の持てる力のすべてを使って、
人々とあなたの望むような、新しいものを作ります」

黒い樹は黙って聞いていましたが、やがて言いました。
「私とまったく違うものに、そして美しいものにしておくれ」
意外な答えでした。
職人と大巫女が黙って聞いていると、黒い樹は言葉を続けました。
「私はここから動いたことが無い。大地から世界のすべてが流れ込んでくるが、私の身体が届く範囲はここだけだ」
黒い樹は生まれてからずっと今樹が生えているところに居ました。
生まれてから暫くはひたすら周りの者を食らっていましたが、
あるとき創り主がやってきて、黒い樹に花が咲くようにしてくれました。
「美しいものは良い。退屈ではなくなった」
無感情な黒い樹の声に、ほんのりと優しげな色が浮かびます。




「私の身体を私でないものにして、色々なところへ連れて行っておくれ。
私の望みを叶えられるというならば、お前に私の身体を分けてやる」

職人は一瞬息を呑み、
「ありがとうございます」
思いがけぬ申し出に感謝しつつ小鳥の方へお辞儀をしましたが、顔を上げるともうその姿はありませんでした。
代わりに職人の前に現れたのは、一塊の黒い色。
樹なのか石なのかも判別できないような、硬く滑らかなその塊は、黒い樹の幹そのものに違いありません。

職人は自分でも驚くほどに高揚した気分になりました。
これで頼まれたものが作れる。
黒い樹を使って―――

微かに、ゆらりと黒い空間が揺らめきました。
黒い樹が首でも傾げたように。
再度礼を言って黒い塊を手に外へ戻ろうとした職人の耳に、
小さな小さな黒い樹の声がしました。
「不思議だ」
やはり淡々とした感情の無い声が。
「お前は―――」

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