NOVEL

庭の話 c

何か約束事があるらしい少年が花の隙間に消えていったあと、庭の主はまだ首を傾げていました。
幾重にも重なった薔薇の垣根を眺めながら、何事かひとりで考え込んでいます。

「……首が曲がりますよ」
「ふおぁ!!」

男が後から声をかけると、庭の主は妙な声を上げました。
「な、なんだびっくりするじゃない」
「おや、本気で考え込んでいたのですか」
普段は考え無しな言動が多い女に向かって、さも意外というように彼は言います。
潜んでいる彼に気付いた上でのポーズなのかと思っていたのです。
庭の主は苦い笑いを浮かべましたが、それでも親しげに彼に向かって呼びかけました。

「ここに来るのも久しぶりだね。次の大臣になるのでしょう?忙しくなったのではないの?」
「遊びに来たわけではありませんよ」

男は―――かつて少年だった男は言いました。
そうね、と庭の主は楽しそうに言います。残念ね、と言います。
沢山の時間が流れて、彼女は大分、当たり障りなく言えばおしとやかになっていました。
「王さまを監視していたのね。追わなくても良いの?」
彼女は少年が出て行った辺りを指差します。
「ここに入っていくのが見えたので気になっただけです。まだ城の中がよくお分かりにならないようなので……それと、まだ彼は王さまではないですよ。
ご自分の旦那様をお忘れですか?」
男が呆れたようにいうと、女は薔薇を眺めながら、目を細めて言いました。

「もうあの方が玉座に戻る日は来ないよ」
何の躊躇いも無い口調に男は一瞬顔を強張らせましたが、ゆっくりと瞬きをしてから庭の主に顔を向けます。
「王さまに会われたのですか?」
問われた彼女は薄く微笑を浮かべると、小さく頷きました。
「一週間ほど前に。丁度お加減の良いときだったみたいで辛うじて口は利いて下さったけど、もう来るなと言われたの。妾―――私のような若者の顔は見たくないんですって」
もう私だっていい年なのにねえ、と彼女は笑います。

「王さまもあんな風に年をとってしまうのね」
庭の主はそんな風に言いました。
「そうですね」
男が神妙に頷くと、彼の方を向いた彼女はにやりとして言います。
「さっきの可愛らしい坊やもきっとすぐに大人になってしまうし……昔の坊もこんな大人になってしまってねえ」
「初めてお会いしたときはもう大分大人になっていたつもりなのですが」
男が肩をすくめると、女はくすくすと笑いました。

「忙しいと思うけれど、ときどきは遊びにおいで。お茶くらいは入れてあげるから」
庭の主はそう言って男に微笑みかけます。
とてもとても久しぶりに会った彼女の表情は、以前よりも大分穏やかでした。年を重ねたせいかもしれません。お妃様としてそれなりに相応しいような気品めいたものと、それから、少しだけ寂しさが混じったような、淡い微笑みでした。
「貴女がいらっしゃるような時間には来られないかもしれませんね」
男が答えると、
「私がいないときでも来ても良いよ。心を慰めに来ると良いのではないかしら。
なにせ王さまのご加護で、この庭はいつでも美しく花が咲いているから」
彼女は機嫌良さそうにそんなことを言います。
かつて少年だった彼は、そんな彼女を見てやはり微笑みました。
そして軽い口ぶりで言いました。

「私はいつでも、この庭で一番美しい花は貴女だと思っていますよ」
「あら」

彼の言葉に庭の主は目をぱちくりさせました。そして、
「お世辞も言えるくらい大人になったのね」
嬉しそうに笑いました。

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