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川を上って行った少年と大蛇の話 *7

というわけで二人は周りを窺いながら歩きます。
「大蛇は来るの?」
「来るわよ、蛇たちが知らせたはずだから。
心配しなくても来ればすぐにわかるわ」
そんな彼女の言葉から幾時も経たないうちに、地面がぐらぐらと揺れだしました。
「来たわ」
少女がぽつりと言うと、辺りに二種の霧が立ち込めます。
ひとつは少女が二人の身を隠そうと呼んだ霧。
もうひとつは八つ首の大蛇がまとう霧。
すっぽりと雲に包まれた小さな山のような姿で、ゆっくりと大蛇はやってきました。



「大きいね!」
少年は目を見張りながら小声で言いました。
霧の中に八本の首が揺らめき、赤い眼がちらちら光るのが見えます。
大蛇が近づいてくるにつれ、しゃらしゃらと複数の声が響いてきました。
「酒はある」
「さけはあるね……」
「肴が無いの」
「気配はあるぞ」
「テシナ夫婦もおらぬ」
「あれはどうした」
「寝てる」

*

「一つ一つの首がしゃべってるの?」
サミルが少女に問いかけると、彼女は頷いて、顔をそむけました。
「何度見ても慣れないわ……」
彼女によると、八つの首はそれぞれできる限りはばらばらに行動し、考え、愉しみ、欲を満たすのだそうです。性格も知能も一つひとつ違うとか。
「真ん中の首が起きているところを見たことはないけど」
少女はサミルに言いました。
「とにかく一つの首を落としても、他の首が構わずにすぐに向かってくると思うわ」



大蛇がひとまず通り過ぎた所で、サミルは少女に言いました。
「行こう」
「勝算は?」
「とりあえずやってみる方向で」
少女は目を吊り上げてサミルを見ましたが、特に冗談を言っているわけでもないようなので、
困ったように笑って言いました。
「私はまた櫛になって邪魔にならないようにしてるわ」
「一蓮托生だね」
「そうよ、あなたが飲まれたら私も飲まれちゃうの。
だから、精一杯助けてあげる」
何かを吹っ切るように少女は言います。それに少年は答えます。
「君は僕を死なせない」
少年はにっこりしました。
「僕も君を守り抜く、だね?」



*

「大蛇は混沌より生れ」
「混沌に還る」
「しかし」
「しかし」
「われらはまだ遊び足りない」
大蛇はそれぞれの首で笑ったり泣いたりしながら唄っていましたが、
社の周りをぐるりと回ってサミルたちの所へ戻ってきました。
どこかで酒をつまんだらしく、眠っている真ん中の首以外はほろ酔いの態です。
大蛇はそんな状態で社の入り口を見て、
少年が一人座っているのに驚きました。
「こんにちは!」
少年はにこりと笑って、手にした盃を掲げました。
「僕があなた方の探している酒の肴なんだけど」
彼の持つ盃と傍らに置かれた樽からは、大蛇たちが今まで嗅いだ事のないような、
かぐわしい酒の香りがしました。
「この特別製の酒に免じて、僕のことは見逃してくれないかな?」



サミルの提案に、八つの首はそれぞれぐねぐねと動きましたが
互いに相談などすることはせず、代わりに即反応しました。
ばらばらに。

八つのうちの三つは芳香をまき散らす酒の方へ。
二つは怪しい提案に逡巡し、ひとつはいまだ眠っています。
そして、二つは待ち望んだ肴へ向ってきました。

サミルから見た大蛇たちはとても大きく、その存在は不気味でした。
しかし白っぽい鱗は紫陽花の花のようにきらきらと色を変える美しいもので、
蛇だった老夫婦が話したものとは少し違いました。
そんな風に相手を観察しながら、
サミルは笑顔を崩すこともなく、自らの剣を抜きました。



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