NOVEL

黒い樹と二つの太陽の話 *8

そして、ぴしりと音がしました。
光が一筋暗闇の中に広がり、そしてもう一度辺りを照らし始めました。
それは薄ぼんやりとしたものではあったけれど、朝日が昇るときのように、周りの闇にしみこんでいきます。
その光は、里長の息子のいる辺りからやってきていました。
彼の手にはまじないをかけた守り刀が握られており、
その刃は娘の胸の真ん中に深々と突き刺さっていました。

「主様……」
娘は弱弱しく彼のことを呼びながら、里長の息子の方へ倒れこみました。
里長の息子は彼女を受け止めます。娘の胸からは血が滲み出す様子もなく、体はやはり硬いままでした。
「すまない」
里長の息子はそんな風に言いました。
「私では里の人々を守れないのだ、少なくとも今は……まだ、新しい太陽にはなれない」
娘は謝る彼の顔をぼんやりと眺めていました。
その表情はほとんど動かず、人形か何かのようにも見えました。
しかし彼女は人形ではなく―――やがてその眼から涙が零れ始めました。

「ごめんなさい、主様」
娘は小さな声で言いました。
「あなたを困らせたかったのではないのです」
里長の息子は一瞬ためらったようでしたが、娘に向かって真剣な表情で口を開きます。
「私は人々を守れるようになる」
なぜか少しずつ軽くなっていくような、娘の体を抱えながら言いました。
「天の災いからも、くだらない利権争いからも、命を犠牲にしなければならないような因習からも……守ってみせよう」
「主様」
少々理想的なことを語った里長の息子に、生贄の娘は微笑んで言いました。
「残念です」
本当に嬉しそうで、悲しそうでした。
「私も主様の里で暮らしたかったです……」


黒い樹は自分の中の何かに押しのけられてびっくりしていましたが、
体を探っているうちにもっとびっくりしました。
体の外側には、以前の体のような強さを持たせることができましたが、
それでも内側から亀裂が入り始めていたのです。
小さな新しい体は外からのなんだかわからない影響を受けやすい体でした。
その力と存在の大きさゆえに黒い樹には処理できないものでしたが、
細やかに快不快の入り混じったような複雑な感情が、黒い樹と黒い樹ではないものが同居している体をさらに圧迫しました。
黒い樹はきっぱりと判断しました。
もう保てない。
黒い樹は元の体に帰ることにしました。


「どうしたのだ……」
里長の息子がそう言ったときでした。
彼が支えていた娘の体に、ぴしりという音とともにいくつも筋が入っていきます。
娘の体は乾燥した木材のように軽くなり、見る見るうちに粉々になっていきました。
里長の息子は呆然として空っぽの腕の中を眺めましたが、
黒い破片すらすぐに風に攫われて、見えなくなってしまいました。

里長の息子は暫くじっとしていましたが、徐々に辺りの明るさが増していくのに気付いてのろのろと立ち上がりました。
闇に完全に取り込まれてはしまわなかったものの、太陽の光は大分弱くなっているようです。
里が今まで通りの生活を取り戻すために、里長の息子である彼が、太陽を支えなければなりませんでした。
太陽であることを、今から学ばなければなりませんでした。
太陽が人々の恵みであるよう見張り続けるために、
そしていつか今の太陽の光が衰えるときに、彼が後を継ぐために。

里の方へ顔を向けると、ふわふわと薄紅色の小さなものが彼の横を通り過ぎていきました。
花を散らし咲かせ続ける里の真ん中のクラの樹でした。

*

クラの樹は元の体へと戻ってきました。
クラの樹の力をきちんと受け止めて、複雑さ故の弱さも持たない、強くて大きな美しい体です。
もう一度花を咲かせ始めると、やっぱり花は美しく、クラの樹は良い心地になりました。
けれどこの体は動けないし、ちょっと大きすぎる、とクラの樹は思いました。
ときどきああいうことが起こればいいのに。
次は、自分以外のものが出てこない体が良いな。
そんな風に思いながら、クラの樹は大地からの命を存分に吸い上げ、
そして外のものたちに恵むのでした。

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