NOVEL

2.


「お久しぶりです」
微笑が、あのときと変わらない。ふわりと笑う。
「え」
「私のことを覚えていらっしゃいますか?ハイン」
「覚えている…けど」


どうにも登場が唐突ではないだろうか。というか、不法侵入というやつではないだろうか。
煙のように現れた元・少女を呆然として眺めるハインだが、彼女は構わず「良かった」と微笑みかける。

「ちなみに鍵は専門の方に開けて頂きました」

専門って何の?
是非とも突っ込みたいところだったが、結局黙らざるをえなかった。
彼女がなんというか、とても綺麗な、有無を言わせない雰囲気を纏っているので、何も言えなくなってしまったのだ。
ここのところこんな笑顔にはお目にかかっていない。
暫く無言で向き合ってから、そこでようやくハインは自分が彼女に見蕩れていることに気付いた。
見詰め合う格好になっていたに気付き、慌てて目を逸らす。少し動揺していた。

最後に会ったのが彼女が12歳、ハインが18歳のとき。本当に子どもの印象しかなかったのだが、よく考えてみれば6歳しか離れていないのだ。記憶と現在の彼女とのギャップが、少しだけ感情を混乱させている、と分析する。

どうしてだろう。
あの時も決して子どもっぽい子ではなかった筈なのに、寧ろ凄惨な状況に置かれて自他を冷静に見つめるような、子どもらしからぬ子だった筈なのに、頑なに子どもだと思っていた気がする。

混乱した状態で考えても答えは出ない。
なにはともあれ、当時から印象深かった少女だ。その成長した姿を見られたとなると、素直に少し感動めいたものも感じる。

注意を彼女の方に戻すと、いつの間にか向こうを向いていたのが、またこちらを振り返るところだった。
つい、と手に持っていた大きいものを掲げる。
預かっていた、彼女の犬のぬいぐるみだった。

「まだ持っていて下さったのですね…正直驚きました」
彼女はそう言って、しげしげと犬の目を覗く。
「あのとき、君が随分大事そうに持っていたからね。手放したら悪いような気がした」
肩を竦めて答える。自分でもよく今まで持っていたものだと思うのだから、他から見てみれば殆ど理解不能かもしれない。
大分運が良かったですね、と言いながら、なんということもなくサエが窓の方を見上げた。少し大き目の窓なので、2重のガラスによって奥まっていても光が十分に入ってくる。今日は天気も良いのだろう、少しのんびりとした雰囲気が作り出される。

「…その後は、大丈夫だったのかい?」

気になっていたことを尋ねてみた。
10年前、彼女に会ったとき、彼女の置かれた状況は過酷なものだった、と思う。朝彼女が目覚めると、両親が変死していた。本当に突然のことだったらしい。普通ならそこでパニックに陥ってもいいところなのだが、小さなサエの場合はそういうこともなく、警察に連絡しようとした。
ただ、ひとつ問題があった。
彼女とその家族が住んでいたのはその国に住む親戚に会うための仮住まいであり、そして彼女はその国の流儀も言葉も分からなかったのだ。
そのとき彼らの部屋の隣に住んでいたのが、交換留学生でたまたまその国に住んでいたハインだった。一応言葉は出来たので、彼女の求めに応じて手助けをしたのだった。

「そうですね、その節は…どうもありがとうございました」
サエは丁寧に頭を下げた。
「あの後、少しだけ祖父のところに。それから、今はあの国で…とても素敵な人達にお世話になっています」

そう答えた彼女は、幸せそうににっこりと笑った。
10年前の笑顔がオーバーラップする。
そういえば、さっき現れたときからずっと柔らかな微笑を絶やさずにいる。
沢山笑えるようになったのだな、と安心するとともに、なんとなく置いてきぼりを食らったような気分になった。
どうして、あの頃とのギャップがこれ程気になるのだろう。
今お世話になっている素敵な人々というのもなんとなく気にはなったが、混乱が増えるだけかもしれないと思い直して、尋ねることはしなかった。

「今日は、じゃあその犬を引き取りに?」
「それもありますが、此方にちょっと野暮用がありまして」

サエはそこで、少しだけ困ったような表情を交えた微笑を浮かべた。そして、ちょっと付いて来て下さいますか、と部屋の外を指差した。


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