NOVEL

子守唄

形ばかりの視察を任ぜられて郊外へ移動中だった辰巳に、
一報が届いたのは20分前のことだ。
電話越しに女性教官の声。

研修の最中に、倒れた。さっさと来て下さいあなた保護者でしょう。
―――正式な保護者は俺じゃなくて才の方なんです。
相手の声が余りにけたたましいのでそう言い返したくなる。
しかし、実際自分以上に駆けつけたい気持ちを抱いている人間もいないだろう。
そういう自覚はしていたので、そのまま電話を切って医務室に走った。


倒れたのは、三ヶ月ほど前に組織に連れて来られた少女である。
名前はまだない。
猫ではないが、引き取るに当たって名前を変えることになった。その新しい名前がまだ決まっていない。暫定的に「君」とか「あなた」とか、前の名前とかを使って呼んでいる。
聞いた話では、両親を早くに亡くして教会の施設で暮らしていたとか。急激な環境の変化にも関わらず、僅かな血の繋がりを主張して引き取った、その保護者のフォローは殆ど無し。
この地に降り立って暫くは上手くやっているようだったが、そろそろ疲れも出てくる頃である。
本人の性格も真面目そうだったから、無理してるんじゃないかとは思っていたのだが。

「ちゃんと見ておくべきだったか―――」
責任を感じるのは、世話役を任されてるからばかりではない。


医務室に着いてみると、少女はベッドの上に起き上がっていた。
「申し訳ありません」
急いでやってきたという様子の辰巳を見て、口に出さなくても分かるくらいに申し訳なさそうな顔をする。なおも言い募ろうとする彼女を制して曰く、

「そんなことより、大丈夫ですか?」

尋ねたものの、これも返事を聞かなくてもよく分かった。明らかに大丈夫じゃない。
ここ何週間か辰巳は彼女に会っていなかったが、こんな紙のように白い顔ではなかったことくらいはちゃんと覚えている。目の下広範囲に隈はあるわ瞳はうつろだわ、これで体調が良いのならとりあえず地球の人ではない。
そんな顔をして少女が大丈夫ですと言い、あまつさえ立ち上がろうとまでしたので、辰巳はどうしようかと思った。
「…あのねえ」
「は」
表情が渋いのに気付いたらしく、少女が目を瞬かせる。
「何でしょうか、なにか」
白い顔がもっと白くなった、ような気がする。
「もう戻れますから…」
「やめてください、寝てなさい」
少し引っ張っただけで、よろけた少女はぽたりとベッドに座った。

*

不安そうな顔になる少女を押しとどめ布団をかけると、辰巳はベッド脇のパイプ椅子に座った。
「そんなに焦らなくてもいいんですよ」
少女の母国語で話しかける。

少しでも負担にならないように、あるいは他人に聞かれても話の内容が伝わりにくいように。
話しかけてはみたけれど、あまり効果は芳しくない。目の前に座る相手は、困ったような顔のままだ。

「でも…」

布団の中に立てた膝を抱えて、口を開いた。

「ボスはそうは思っていないと思います」

「ボス、ね…」

せめて名前で呼べば良いのにな、と思いつつ、辰巳は「ボス」こと才の顔を思い浮かべる。

彼こそが少女を引き取った人間だ。一体どういう考えがあってのことかは、辰巳にも実は分からない。
自らの血族を調べているというから、はじめは家族でも欲しくなったのかと思っていた。しかし、実際に血の繋がった少女を引き取った後は、部下(というか特に辰巳)にまかせきりだ。家族らしいこともなにも無いし、ボスとか呼ばせておくし、はっきりいって理解不能である。
ただ、彼女を研究者にしたいらしい。カリキュラムを与えて指導させている。
そこにしか意思が見えないからこんなことになってしまうのである。

「私は、どうしたら」
弱弱しい声で、少女が呟く。
「どうしたら、ボスに…認めてもらえるのでしょう」

早く望まれるような人間になりたいと、潤んだ声で呟く。
目を閉じているのは、涙を零さないためかも知れない。
白いベッドにぽつりと座った少女を見ていると、急激に無力感が込上げてきた。

彼女は此処に連れて来られてから、あまり笑わない。
辰巳が見慣れたその顔に、見慣れない表情。
少女は、辰巳を創った博士に良く似ている。実際多少の血縁関係はあるのだが、それにしても似過ぎているくらいである。
いつも穏やかに微笑んで、その仮面を崩さないのが博士のスタンスだった。
その微笑しか見ることが出来ず、それが不満だった。
珍しいこの顔は、だから願ったものである筈なのだ。
けれど、実際にこんな顔を目の前にしても少しも嬉しくない。

博士が微笑しか見せてくれなかったのは、彼には何も出来ることがないと思っていたからだったのだろう。死を前にして、助けを求めてもくれなかった。実際、最終的に辰巳は何も出来なかったのだが。

「…今は、違う」
「…?」
唐突な呟きに驚いた少女が顔を上げる。
その頭を辰巳の手が上からくしゃりと撫でた。
「…ひゃ…?!」
「いいですか」
すう、と一度息を大きく吸い込むと、辰巳は一気に喋った。
「眠って下さい。
寝たらメシ食って寝てを元気になるまで繰り返すんです、いいですね?」
呆然とする少女に言い含める。
「それが許されないなんてことになったなら―――俺が才をとっちめに行きます。」
「とっちめ…」
若干乱れた頭髪を押さえつつ少女は復唱した。
「そんな」
「あいつはもう少し女の子に気を遣った方が良いんです」
「はあ…」
「はい横になって布団かぶって」
「は、はい」

*

少女はなんだかわけが分からないまま言われたとおりにしてしまった。辰巳はたった今、(ボスに)何をしても彼女を守ろうと決心したところだったのだが―――そしてその第一歩として彼女に安心して休んで貰いたかったのであるが、そんなことは彼女には知る由も無い。
いきなり寝ろといわれても、ここ数日間不眠症のような状態が続いている。残念なことに全く眠くない。

ただ、さっき撫でられた頭が、少し温かい。押さえつけられたという方が正しいような、慣れない手つきではあったが。

久しぶりに直に感じた人の気配。

空気までもが緩やかに、暖かいものになる。

辰巳の方を見上げると、彼も視線に気付いたようで、こちらを覗き込んできた。
「眠れませんか?」
「…はい」
少し首をひねる。
薬でも持ってくるのかと予想した少女だったが、
「歌でも歌いますか?」
外れた。
「うた…?」
「音楽聴くと眠くなるとか…俺あんまり知りませんけど、歌」
「……」

*

数分後。
医務室で奇声がするとの通報があり、警備員が駆けつけたとか。
ボス直々に子守唄禁止令を頂いた部下がいたとか、
世の中には周りの人があまり音感について注意してくれないような育成環境もあるとか…
あまり嬉しくない幾つかの要素が浮かんできたけれど、
つまみ出される瞬間にこっそり覗いた少女の顔に、可笑しそうな微笑が浮かんでいたので、

これで良いかなと辰巳は思った。

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